9月22日(日)


高知、SOHO版「桃太郎」

 今日は日曜日。お勤めの人などは普段より時間をかけてパソコンの前に座る日だ。実際の仕事にはつながらなかったけど、前も日曜日に問い合わせの電話が入ったことがある。こんな日は自宅待機、と決め込んだ。お父さんは家で仕事待ち、女房と小学生の娘は高知のアメリカ、USAへ貝堀りに。お母さんが海で貝を採っていたら、上流から大きな貝がドンブラコ、ドンブラコ・・・(海に上流ってあり?)。

 話を戻そう。今日は、自宅待機しながら、ほったらかしにしていた工房GUSUKUのホームページにSOHO日記を加えるんだ。「ホームページをちゃんとしなくちゃ!!」と思うに至るにはある素晴らしい出会いがあったのだが『大切にしたい出会いなので、今はそっと見守ってて下さい』というか次々と話が飛ぶのでまたの機会にしよう。

 作業をしていると、昼過ぎに前勤めていた病院の守衛をしている永野君から電話が入った。彼は僕ともう一人の相棒で面接をして採用になったのだが、必要以上にそのことに恩を感じているところがあってすまないような有り難いような友達だ。採用後に話をするうちに僕の出た大学の1年後輩だということ、結構共通の知人友人がいることが分かり、僕が勤めをやめたあとも時々会っている。
 永野君の用件は、彼の友人が引越しするにあたり使っていたパソコンが場所を取るので(なのかな?)永野君が要るならくれるという。しかし、永野君もデスクトップのパソコンは場所を取るのでちょっとつらいところがある。パソコンの便利屋をはじめた宮城さんが必要ならその友人のおうちへもらいに行こう、そういう話だった。古かろうと新しかろうと安かろうと(高いは無い)なんでも興味があるからもちろんすぐ行動だ。
 永野君の友人H本さんは現在長期出張中、おうちにはそのお母さんがいた。僕らの年代のお母さんだから年のころ70代ぐらい?品があって、会話していてもさりげなく小さなところまで気が行き届いていて素敵な人だ。部屋には文学全集や美術書がいっぱい。いろいろ話をしてちょっと長居してしまった。今日だけじゃなくて又時々会ってみたいと思った。そのためには・・・、そのためには・・・・「名刺、おいていってもいいですか?」もちろん気持ちよく受け取ってくれ、僕らはパソコンを車に積んでH本家を後にした。

 うまいこと自分を売り込んだと取られると、リンダ、困っちゃう。実際、お母さんはパソコンは一切触らない。この仕事を始めて一番いいことは出会いがあることだ。別に出会いの材料はパソコンでも家庭教師でも大道具でも何でもいい。「会えて良かった」のなんと多いこと。ありがとう失業、ありがとう、こうならざるを得なかった状況、おめでとう僕!!(オメデタイ?ボク・・・)

 ある晴れた日曜日、お父さんが自宅待機をしていると、上流からキーカシャカシャ・キーカシャカシャ「パソコン」と「やわらかい日差しのような出会い」が流れて来ました、とさ。

(後日談・・・翌日、H本さんのお母さんからもらって来たパソコンのことで確認の電話があり、電話の終り際に、今度孫がオーストラリアの留学から帰ってくるから、その時にはパソコンのこととか、ワープロのこととか、何かお願いするかも知れないとの言葉をもらいました。本当に又、会えそうです。)