12月25日


悲しみは雪のように

 ♪♪ 孤独で君のからっぽの そのグラスを 満たさないで ♪♪…

浜田省吾の曲、クリスマスソングだと思っていたら、歌詞自体にはクリスマスともジングルベルとも出てこない。しかし、明らかにクリスマスソングだ。クリスマスにはどんなに冷たい強欲な人物でも何故か過去を思い出したりして、まわりに心を開いてやさしい気持ちになるというような物語がアチラにはある。それを思い出させるような歌詞がこの歌にはあちらこちらに出て来る。

 僕は、特別浜田省吾のファンではない。ノドを閉めたような歌い方にこちらが苦しくなることがある。無理やりロックしようとしているような曲も多いし、作らなかった方が良かった曲を今も歌い続けているのが不思議になるものもある。たぶん、あのノドの閉め方はリズムキープの一方法なのではないかと思う。そういう意味では陽水がフレーズの合間に口を独特な感じでヨゴヨゴ動かすのはリズムを持て余しているせい。体の中のリズムが、曲のリズムよりもさらに先を行っていて持て余してる感じ。アッ、話がとんでる。「悲しみは雪のように」だった。

 この曲はいい。歌詞がいい。普通はサビに一番いいところを持って来るのだが、この曲はサビ以外のところにいい言葉や表現があってサビが付け足しのまとめ役をしている。僕がいいと思うのはーー
「心の底から誰かを 愛することが出来るはず」の「心の底から」・・・意味が深い
「孤独で君のからっぽの そのグラスを 満たさないで」
「でも時には誰かを 許すことを覚えて欲しい」
 機会があったら聞いてみて下さい。浜田省吾はこの1曲を作っただけでエライ!!

 エーッと、自分のことを書きまーす。日本のクリスマスソング。20〜30年ぐらい前までは「ジングルベル」とか「赤鼻のトナカイ」とか向こうのものばかりで、日本製のクリスマスソングは無かった。音楽も評論家は西洋のものをほめて日本のものをけなせば成り立つような時代で、「日本のクリスマスは商業的な盛り上がり方で、文化として持ち合わせたものではないから新しいものが出てくるわけがない」などと言っていた。それならばと僕が作ったのが『履歴書の断片』の中の『満足します』という歌。クリスマスを小道具として使ってるって感じで本格的じゃないけど。それに刺激を受けて山下達郎が「クリスマス・イブ」を作ったと言ったら皆さん信じますかぁ?信じない方がいいですよー。

 それとー、誰のマネでもなく自分のオリジナルで出て来たものとして「風の形」という発想があったんだけど、それも随分後になって陽水の「カナディアン・アコーディオン」という歌の中で出て来た。

 作者の力が無いばかりに、作りっぱなしで誰にも聞いてもらえない名曲たち・・・。誰も聞いてないから名曲と言えるんだけど、中にはいいのもあるんですヨー。来年はホームページで音も出したいかなー。その時は僕が浜田省吾さんを遠慮なく評論してるみたいな聞き方しないで下さいネー。なにしろシロートですからー(^^ゞ

 最後に話を戻しましょう。「悲しみは雪のように」、僕の生意気な評論っぽい言葉じゃ良さは伝わらない。寒い間は賞味期限内なので、聞いて見て下さい。

 浜田君は売上が伸びたらメール下さいネー。 Bye-Bye!!