9月13日(月)

カミナリ

 午前、アリヒロ母のお兄さんのところへYAHOOの接続設定へ。場所は伊野町枝川、高速の下り口の近くだ。この辺は時々通るところだが、僕の中では「思い出の場所」になっている。10年くらい前、大道具の仕事に関わり始めた頃、縁あってしばらくこの辺りにはよく来ていた。

 『八代(やしろ)の回り舞台』。ここには、国が指定する重要有形民俗文化財なる古い舞台がある。僕はこの舞台の床下にもぐり込んで回り舞台を回したことがある。

 秋になるとこの地方では地元の青年団による農村歌舞伎が行われる。とても素朴で、上り性の若者などは本番前に酒をぐびぐび飲んで酔いにまかせてやってしまうような、田舎の青年団丸出しの空気感。ここらの風景とその農村歌舞伎を支えている若者たちのイメージから見るとそれもまた風情に思えてくるから不思議なもの。なんかいいのだ。我々の亡き棟梁は、その時期が近づくと南国からこの枝川まで歌舞伎の指導のために足を運んでいた。野市におられたお三味の人間国宝のご夫婦と一緒に。僕はその方々の価値も分からずに、言われるままにその時期、皆さんの運転手を勤めた。

 こうして書いていると忘れていた情景まで浮かんでくる。車の免許を取るのが遅かった僕はその頃免許取立て。秋も深まり、急に寒くなったある日の帰り道、車の窓が曇って来たのだが対処法が分からない。時々ティッシュで窓を拭きながら走っていたのだが、急に何にも見えないくらい窓が曇り出した。その時は棟梁がティッシュでさかんに窓を拭いてくれてたっけ(^.^) そして、僕はそのまま走り続けた・・。今では、そのご三方とも亡くなられている。あの時そうならなくてよかったヨ。

 その時の農村歌舞伎の当日に僕はその回り舞台の床下にもぐり、陰ながらその舞台に参加したというわけだ。思い出がハッキリしているぶん、時々ここを通ってもその思い出と今見る風景は別物になっていた。

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 アリヒロ母のお兄さんのお家へ行くと、その八代の回り舞台がある神社がすぐそこに見えるじゃないか。アレレ。

 お兄さんのパソコンにはLANの受け口がなく、急遽高知に戻ってLANカードを買って来るというようなこともあったのだが、そうやって動いてみると、田舎の特別な思い出に縁取られたこの地区も近いものだ。もっともあの時期には今ほど道路が整備されていなかったんだよな・・・。

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 夜は久々のラストサムライ。夕方からあんまり雷がすごいものだから不安をかかえて出かけた。普通節度あるパソコン使いは雷がすごい時パソコンの電源は落としておく。でも仕事はしたいし・・。

 幸い???電源が落ちたのは1回だけ。蛍光灯や他の電気製品は一瞬またたいただけだったのに、パソコンはしっかり再起動した。それまでやった作業は全部とんだかのように見えたのだが、かろうじて、部分的な損失で済んだ。

 今年は(も?)、天気がおかしい・・・。