2005年11月7日(月)

諫早にて・・

 結婚式も終わりみんなそれぞれの日常へと戻って行く。福岡に住んでいる兄は他の家族3人を残して一足先に戻って行った。僕は敢えて日常には戻らず、可能な限りこちらにいたいと思っている。結構大変な思いをして長崎まで来て、即またそれを繰り返すなんてもったいない。「GUSUKU in 長崎」が出来ないものか動いてみたいし・・。前から諫早に住んでいる一番上の姉が、以前使っていたパソコンが調子が悪いから何かの時に見て欲しいということだったので今日は実家の方に行く。

 昨日の結婚式の主人公の一人である僕の姪の母親=下の姉がホテルにやって来た。会話する内に、姉の家では使える筈のインターネットが繋がらなくてプロバイダ料金だけが出ていっているらしいということが出て来た。

「NTTの人の2回も来てくんしゃったとばってんさぁ。なんでか知らん、つながらんとよ。春坊のそがんことばしよっとないば、昨日見てもらったらよかったとにねぇー。」

 アレレ、昨日は姉の家にも行ってたのに・・。こんなところにもパソコン話はころがっていた。つながらないはずはないし、腕の見せ所だったのに。

 後の予定のこともあるので、今度長崎に来る時に・・なんて話になったのだが、アハハ、10年先だったらどうしよう(^_^;)

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 実家のある諫早に戻る足で、兄の家族3人を長崎駅まで送った。3人は今日は長崎観光をしてから福岡に戻るとのこと。兄が普段苦労をかけているから、今日は「観光でもしてから戻って来たらいいよ」ということらしい。僕は長崎県では田舎者。県庁所在地である長崎市の地理はちんぷんかんぷんだ。聞いた話と標識だけを頼りに長崎駅へ。坂があり、曲線も多い長崎の道は電車も走っていて、プラス3車線ある。こりゃあ、慣れんと少々つらいもんがある。少々的外れな場所で3人を下ろしてしまった。

 さて、今度は僕がどうやって諫早に戻るか思案橋・・・。車を道路の脇に止め、その近くでそうじをしているおばさんに道を尋ねるとそのおばさんは分かりやすく道を教えてくれた。観光で持っている長崎の人達は道を聞いたりするとほんとに親切に教えてくれる。これは若い頃にも経験したことだ。下の姉に聞いた話だが、長崎の人は道を聞いている人の姿を見ると、他の人まで集まってきてあれやこれやと教えてくれるとのこと。分かるような気がする(^.^)

 おばさんに聞いた道は僕の頭の中の地図とは違っていて少々不安だったが、もちろんおばさんの方が正しかった。僕も自分の道に迷う能力には自信があるので、不安でもおばさんの教えてくれた道を優先して正解。楽に諫早に行き着いた。

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 さて、上の姉のパソコンはwin95以前のフロッピーから立ち上げるタイプのもの。これはこれは・・。でも姉が行っているカルチャースクール的な環境ではまだそういうパソコンが普通に生きているところもあるらしい。ワタシノシラナイセカイ・・・。今の状況で考えられる対処法を伝えて、それ以上のことは出来なかった。こんなこともあろうかと、僕の車にはおすすめのデスクトップ1台、ノートも1台積んで来ているのだが、姉はXPのノートを別に購入していたのでその話はなし。今日はここに泊めてもらうことにした。

 母が亡くなり、父も亡くなり、諫早の実家でひとり暮らす姉。公の機関が催すカルチャースクールを上手に利用してその守備範囲の広いこと。パソコンをやり、ちぎり絵をやり、そのほかにもいろんなことをやっているようだが、今は陶芸がメインのように見えた。

 それと・・・

 人は自分のルーツが気になるものなんだろうか、親が生きていた頃にはそれほど家にあふれていなかった沖縄に関するものが増えているような。父が弾いていた蛇味線に加えてその教則本やカセットテープ、ビデオテープ、沖縄に関する本などなど、前よりも諫早の実家には沖縄の空気が流れている。

 そして、それに興味津々の僕もいた・・。

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 夕方、姉が親しくしてもらっているHさんのところに行った。Hさんはセブンスデーアドベンチストというキリスト教の信者さんで、僕の父の葬儀の時の司会進行をしてくれた方。Hさんはパソコンを駆使して教会の催しごとのパンフを作ったり音や映像のこともやっておられる僕よりもうんと人生の先輩の方。それが、人をそらさないというか・・、僕がやったネット上での検索の仕方などが参考になったと言って下さって頭の下がる思い。又こちらに戻ってきた時には是非お伺いさせて頂きたいお人柄の方だった。

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 夜、宮田君と会う。昨日会った圭之助とこの宮田君と僕は大学に入ってから後、休みに長崎に戻るたびにいつも一緒に行動する仲間だった。昨日は宮田君にも電話をしたのだが「使われていない電話番号に・・・」ということで連絡が取れず、今日職場の方に電話してつかまえた。

 いつも唐突に諫早に帰って来て、唐突に連絡を入れる僕。そのたびに宮田君はみごとにつきあってくれる。決してヒマではない、というか年齢的にも責任のある立場でとても忙しい人なのだ。彼は諫早市役所に勤めている。昨日の圭之助は長崎県庁でかなり大事な役職についているらしい。

 彼は体を壊し気味でこの5年酒を一切飲んでいないとのこと。諫早の小さなメインストリートの裏道にある焼き鳥屋で僕はビールや焼酎を飲みながら、彼はノンアルコールビールを口にしながら、昔話や最近の話をする。

 年齢がそういう時期だからか、誰の親が死んだとか同級生の誰が死んだとか、体がしんどいとか、最近目が・・・とか、アハハ(^_^;)

 でも、話の内容がその全てではない。こうして久しぶりに会って、お互いに「根っこのところは変わらんな」と感じ、「それじゃまたな」と言えることに価値がある。それだけで、いい・・。

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 また、いつになるやら、でも又こうして会いたいもんだ。二人とも元気でいてくれ。