2005年11月25日(金)

燻製鮎、取材

 佐川といえば燻製鮎のYさん・・と今まで書いていたが、燻製鮎はこれから少しずつ、もしかしたらバッと目立つ存在になって行くのでそろそろ名前も出そうか。Yさんは矢野修愛さんといって、Yさんの会社は居C愛。鮎の燻製を商品化してこれから販売というところまでこぎつけた。

 矢野さんの作る燻製鮎は燻製特有の香りとさりげない風味のスパイスが効いたやわらかなもの。煙で燻す前の工程で浸すソミュール液の工夫で黄金色に輝いている。

 その矢野さんの会社にさんさんテレビが取材に来るということで今日は応援のつもりで佐川に行って来た。商品がユニークなのと実際においしいので、矢野さんが心配する以上に商品が一人歩きを始めた感じ。主の心配とは別に周りがニュース性を感じ始めたというべきか・・。

 佐川に着くと、既に何人かの人がかけつけて、取材対応の準備をしている。僕が応援の気持ちでかけつけるのと同じように、他にもこういう時に駆けつけてくれる人が修愛さんには何人もいる。これは彼の人柄のせい。修愛さんは「北風と太陽」の太陽タイプの人でそれがこういう時に力を発揮する。

 取材の日が修愛さんのご近所に対するお披露目にも役立って、ちょっとした試食会を開くようにしている。僕が行った時にはその会場作りにとりかかったところだった。

 舞台の時はいつまでも新人みたいなたどたどしさだが、一般社会においては道具で身につけたことは実に役に立つ。会場を作るにしてもその場にあるものでそれなりの状態を作り、思った以上に簡単に会場は形になった。もちろんみんなの力で・・。

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 さんさんテレビさんは1時間半くらい取材していったんじゃなかろうか?ニュースの中でちょっと紹介するように聞いていたのだが、それにしては丁寧で長い取材。聞けば、それなりに長目の時間を割いて、「話題」としての放映になるらしい。

 試食会の時はいきなり燻製鮎の感想を聞くインタビューを受けたし、手伝いで真空パックの作業をしてるところも工程説明用に撮られたりした。あれ、人に見られたら、僕はパソコンのことをやめて燻製鮎の会社で働いてるように見えてしまうヨ。手元とか機械が主な絵になってますように。

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 修愛さんを囲む佐川の人たちの会話は実に興味深かった。佐川は山と川の里。今年は鳥の飛来が遅くてビラカンサスの実が食べられずに一杯残っているとか、最近はかにを取るカゴに餌を入れるので、小さなかにまで引き寄せられて取られてしまい、かにがすっかりいなくなってしまったとか・・。ごく普通の会話の中に佐川の自然を感じさせられる。

 ご近所人たちの会話も田舎の剣のない楽しい会話。

 佐川はいい町だと思う。

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 それと、もうひとつ。取材に来ていたのは記者の人とカメラマンの二人連れだったのだが、カメラマンはなんか見たことがあるような人。

「K林さん?」

 そうだった。遠い遠い昔、彼は、今も僕が関わりのある大道具の曽我氏が所属していた集団に出入りしていた若者だった。

 もちろん、僕と同じく彼も今は20代の若者というわけにはいかない。矢野さんがもらった名刺を見せてもらったら、ナントカカントカ制作部長ということで、責任のある役職の様子。あの頃は情熱やそのひたむきさで行動していた若者も時とともにそういう役割を担うようになっているというわけだ。

 それにしても、高知は狭いというか、こういう偶然の多いこと。

 修愛さんのおかげで懐かしい人と会えた。

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 今回の取材が燻製鮎のいい船出の元となりますように!!