2006年1月20日(金)
時は来て、時は行き、なんとかなった。
劇団「笛の会」。人も変わってしまって知っている人はいない。
この劇団とは遠い昔、僕がこういう裏方仕事のことにも関わっていない時代にいっときだけ関わりがあった。
学校を卒業して就職したての頃、時々この日記に出て来る僕を大道具に引っ張り込んだ曽我氏に声をかけられて、この劇団の手伝いをしたことがある。その時はオープンリールのテープデッキで劇中の効果音を流したり、僕の作った歌が劇の背景で流れたこともあったり・・。
あの頃のみなさんは今頃どうしているんだろう?
時は来て、時は行く。
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今日の「笛の会」の出し物は、高知が生んだ植物博士、牧野富太郎を扱ったもの。
人の伝記小説的な「一生もの」を見ると、どこかものがなしい気持になる。
生まれて、活きて、死んでゆく。それが人生。
人の数だけ人生があって、偉人と呼ばれずともそれぞれが大切な今を生きていて、それが、やはり人の数だけあって、そして、みんないつかはサヨナラを言わないといけない。
死んでも死なない何かというのも信じれるけど、取り合えずサヨナラはサヨナラなんだ。
いかんな、ミヤギに「伝記もの」は毒だ。
それに比べれは、今日を乗り切れるか心配し、お金の不自由に「アイヤー」と言い、晩ご飯の後に明日の晩御飯を思い・・・、そんな小市民的な生活のなんと幸せなことか・・・。
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無常観とか厭世観とか、そんな大きな孤独を忘れるために今日の小さな痛みはある。