2006年9月17日(日)

棚卸しの意味

 「連絡はなかったんでしょうか?回線が近くまで来てなくてどうしても工事が出来なかったんですヨ。」

 「あぁ、そうなんですか。曜日が土曜日曜と横の連絡が取れない時だったんで私のところまでそれが伝わらなかったんだろうと思います。又、こういうことがありましたらよろしくお願いします。」

 「エェエェ、その時はよろしくお願いします。」

 というわけで、今日の予定の設定はボツに。

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 突然空いた時間。ひま〜(^_^)v

 でもないのだ。

 セッセセッセと仕事部屋を片付けている。

 片付けても片付けでもスッキリとならない。でも、やる。

 確かにものを大切にするし、それゆえにものが集まってくるのだろうが、それぞれに神経が回らなくなったら、血が通わないというか、心が通わないというか、命が巡らないというか・・。

 ちょっとした面積しかない車の中でさえそれが起きている。

 カゴに入れて車に載せたLANケーブルはそれぞれ自分で作ったり、何かの時にすぐ使えるように買い求めていろいろな長さのケーブルを用意している。考えはいいのだが、しばらく触らない内にどんな長さのケーブルがどれだけあるかというようなことがスッカリ把握出来なくなっている。

 小売業では『棚卸し』と言って、一定期間ごとに商品の在庫を調べ、計算上の在庫と実際の在庫を比較してロス率を出したり、商品回転率を出したりして商売の効率を計る。店にある商品一品一品を数えて総在庫高を出し、その細かい分類ごとの指標を元に売れ筋を割り出したり。

 でも、この「棚卸し」という言葉にはもっと大事な意味があるような気がする。

 ひと品ひと品、それこそ棚から下ろして「そうかこんなものもあったんだ」とものの存在を認識し、きれいにしてまた棚に戻す。いつか必要になった時、「在る」ということが分かっていないと、その商品はそのままにして、別のものを用意したりすることになる。それは今在るものに対してなんと失礼な行動だろう?

 きっと「棚卸し」という言葉は、もっと物を大切した時代に生まれた言葉で、ひとつひとつを棚からおろし、その存在と活用の可能性を再認識し、その商品に再度命を吹き込むという意味があったのではなかろうか・・?

 そういう意味では、最近の携帯POS端末でタッタカタッタカやる棚卸しというのは今ひとつ意味が違っているに違いない。

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 最近の僕は片付け大好き人間になっています。

 この調子じゃひと月くらいヒマでも大丈夫ダワ。