2006年10月17日(火)
短大の授業、今回から『接遇』について何回かの時間を使う。この『接遇』に関して僕はこれからの時代を担うことになる子供たちに伝えたいことが結構あって毎回力が入る。僕自体小売業に長いこと従事し、その後は病院勤めをし、その経験から得たもの。それはお辞儀の角度が15度だとか45度だとか、言葉がどう・・、じゃない。
一言でいうと「ハート」ということになるのだが、それが広がっていくと「生きる姿勢」ということにまでつながり、とりとめのないものになる。そんなこと教えれる程僕も立派じゃないし・・・。
それで結果的には「敬語」とか「目配り」「心配り」というような具体的なことをやり、その上で「そういう技術以上に最初から最後まで大事なのは『ハート』なんだよ。」というような伝え方になる。
そのために使っているビデオは内容がいいと思っているので、10年以上前のものでもそれを使っている。出て来る電話機が黒い昔風の電話機だったり、出演者の若者に茶髪がいないとか、まぁ、弱点探しをするといろいろ出てくるのだが、内容はとてもよい。
今回、このビデオを使ったのは4回目かな?その度に授業の準備で見、授業で又生徒たちと一緒に見ることになる。
そこで気付くのだが、こうやって何度も何度も見るその度に前回気がつかなかった大事なことが見えてくるということ。「百聞は一見に如かず」で、「見る」ことは「聞く」ことよりはるかに多くの情報を捉えることが出来るのだが、その「一見」にも随分な見落としがあるってわけだ。
百聞を1度で済ますことが出来る「一見」をさらに百回やったらいいってこと?
「百見は一万聞に勝る」ってか・・。(100×100=10000だよね。)
ラストサムライのOさんが何度も何度も同じものを見てたってのはこういうことなんだろうな。
次から次に新しい情報が新聞、テレビ、ネットで流れてくる今日この頃。この繰り返し見る、聞く、読むということがおろそかになる。
昔から何度も何度も同じことを繰り返して何かを身につけるということは教わっているのだが、周りに流されてると「棚ボタ」ばっかり期待したくなる。
気をつけんとなぁ。棚ボタも好きだけど・・
まあ僕も教えながらいろいろ学ばされてるってわけだ。