2007年2月10日(土)

リカバリー2台の日

 「事務長さん、朝一番の工事が取りやめになったというので、工事の人が今から来てしまいましたー。」

 朝9時半くらいだっただろうか?「悪魔のような天然」Tさんからの電話。今回のTさんの光申し込みは僕が間に入っていて、設定も僕が行くようになっている。Tさんは今日は仕事がお休みで、朝はしっかり寝ておきたかったのに違いない。まぁまぁ、かわいそうに。

 土佐市午後の予定の方を11時くらいにしてもらうつもりだったのだが、まだ連絡が取れていなかったので、Tさんを11時にした。

 設定を始めて、ひとつの問題。プロバイダWAKWAKのID・パスワードで接続が確立されない。Tさんは今まで電話でのインターネット利用の契約をWAKWAKと交わしていて、今回はそのコース変更。WAKWAはコース変更の場合に接続IDやパスワードは変わらないと聞いている。

 Tさんは電話でのネット利用はほとんどしていなくて、もっと気持ちよく使える状態にしたいというので今回の申し込みになった。だから、このIDとパスワードで今までつながっていたという確たるものがない。なぜか同じ日付でWAKWAKの紙が二枚あって、接続IDは同じだが、パスワードは違っている。そのどちらでもつながらないんだよなぁ。

 サポートに電話すると接続IDは間違いないし、コース変更の手続きも済んでいる。じゃあ、後はパスワードだけなんだ、間違いなく・・・。

 サポートさんは向こうで困った挙句、設定をイチからやり直すことを言い始めた。それも光プレミアムとは違う方法を説明し始める。あれれ、あの困り方といいこの方あまり分かっていないんだ。

 後はパスワードだけなんだということを説明しそのことを考えてもらうように頼むと、サポートさんは一度電話を切って方法を考えてからかけ直してくれるとのこと。 その結果は・・・

 WAKWAK側では設定内容の初期化が出来る。それをやると、ID・パスワードの用紙の端っこにある仮パスワードが最初のパスワードになるはず。30分くらいで初期化が反映するのでそれからもう一度やってもらえないか・・。

 よかった。きっとこれでうまく行くに違いない。でも今はもう12時半。土佐市を先に済まして、それからTさんのところに舞い戻ろう。

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 土佐市、蓮池のN西さん。年の頃60台だろうか、ご自分でルーターとHUBをつないでそこに複数のパソコンをつなぎ、これまでもADSLでネットを利用されていた。IP電話のこともご理解されていて、その上で光電話に加えてプロバイダのIP電話も利用される。

 これだけことが分かっておられると話が通じて分かりやすい。設定時にはケーブルの接続などいろいろと手を貸して下さり助かった。電話の分岐のアタッチメントがおかしくなっていたり、OCNのIP電話の自動設定ページが最初うまく機能しないなどの問題はあったが、お客様がこういう方なので、順を追って冷静にやることが出来て、問題もクリヤー。

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 さぁ、Tさんのところへいかなくちゃ。土佐市高岡で先日電話をもらったT田さんからパソコンを預かって即高知市へ。

 初期化が済んだWAKWAKのサーバーは今度はすぐにつながった。Tさんは連続で動いている僕のことを心配しておにぎりを用意してくれていた。

 ありがとネー(^.^) Tさん、もしかしたら「天使」かも知れない。

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 さぁ、次は追手筋のO村さんのところへ。約束は4時だったが着いたのは4時半。

 当初はノートの調子が悪くてリカバリーを・・ ということだったのだが、最終的にはそのそばにあったデスクトップもリカバリーすることに。

 ノートの中にあるデータを退避するために、デスクトップ機で僕のホームページの参考ページを表示してそれを見ながら作業。リカバリーの待ち時間にデスクトップ機の方も触っているとこちらも動きがとんでもなく遅い。その内ノートのリカバリーが済んでその動きがとても快適になったのを見て、O村さんはデスクトップの方もリカバリーしたいと思い始めた。

 アハハ、そのとおりなんだけど、僕の頭が持つかどうか・・・(^_^;)

 リカバリー自体は、メーカーが用意した、パソコンの不具合の原因を考えずバサッと「ご破算で願いましてはー」とやるやり方で至極簡単。でもデータの退避と戻し作業は見た目以上に神経を消耗するものなのだ。データを戻して今までどおりそのデータが表示されて始めて安心出来る。最後まで気が抜けないのだ。

 「なんとか、やりましょうよ(^.^)」

 なんとか、やりましたー(^_^)v

 デスクトップの方はCDが11枚もあった。待ち時間もあるしで、その間にノートの方もリカバリー以上のことをいろいろとやって、ことが済んだのは10時半くらいだった。

 でもその間にO村さんともいろんなことが話せて、屋台のラーメンを買って来て下さったりもして、普通の仕事以上に一歩近く親しい人になった感じ。

 そんな夜遅くまでの詰め詰め作業で僕の頭が持ったのは、O村さんの物腰のやわらかいお人柄のお陰だと思う。お互いの子供が同じく中3で4月からは高校生・・なんて同世代ゆえの話も出来て、結果、これは良かったんだと思う。

 これからも、何かお役に立てることがあったらお気軽に声をかけて下さいませ。

 トラブルごとは気の毒なので、出来ればまた別のことででも・・・(^.^)