2008年4月9日(水)
午前10時半、一宮のY井さんのところへ。先日仕事仲間の竹内さんが仕事の都合で自分のお客さんを僕に紹介してくれるというのがあったが、昨日又2件そういう電話があって、こちらはその中のひとつだ。
こちらでは本題に入る前に別の問題が発生。ヒカリ回線の機械のひとつ、CTUという機械がその機械を動かすプログラムであるファームウェアの更新を意味する点滅をしていたのでそれをやったのだが、その後からインターネットがつながらなくなった。それをやる前にはYahooの画面を一度見ているので、さっきまではつながっていた筈なのだが・・
ファームウェアの更新では接続設定など触らないから入力内容が変わるわけではないが、IDかパスワードが間違っているようなメッセージなので、それも何度も入れなおすがどうしても同じメッセージが出る。
こりゃあ、プロバイダに聞くしかないな。でも、電話をすれどずっと話し中。
馴染みのNTTの営業部隊に業者用の連絡先から調べてもらうと、なんと支払いのタイミングの問題でプロバイダが解約処理をしているとのこと。
「じゃあ、ついさっき僕が見たと思うYahooの画面は何だったんだろうねぇ?」
「それが、見れなくなるタイミングというのがまちまちで分からないんですよ。」
アイヤー、ナンタルチャ、アッチョンブリケ それからそれから・・
今日来た本題は又今度ということになった。おそらく本題の方はネットにつながった状態でやれば問題はないと思う。
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今日の2件目はいつもは金曜のU田さん。この前もチラリと書いたが、U田さんはペギー葉山つながりで、武政英策氏についてもいろいろ縁がありそうな人。U田さんのところへ行き始めた頃に私家版の「南国土佐を後にして」のCDをもらったことを書いたが、そのCDを製作したのはU田さんなのだ。そして、そのCDには「南国土佐を後にして」の作者は誰かというような論争があったことを書いた説明書きがついていて、それを書いたのもU田さんなのだ。
「南国土佐を後にして」は戦時中高知出身の通称「鯨部隊」の中で歌われていたもので、戦後復員した兵隊さんが歌って巷に広がりつつあったものを武政氏が採譜して少し手を加えてレコード化したらしい。それがその何年後かにペギー葉山が歌って大ヒットした。
「その武政先生を非難してる人たちは、せめてそういうことが分かるようにレコード化すればいいものを、まるで自分が作ったかのようにしたのがいかんと言ってるんですよ。私が思うのはこの先生がそんな論争に巻き込まれたのがお気の毒でならないんですけど、曲がヒットすると著作権とかなんとかそういうことが出て来ますからねぇ。」
アレ?僕がもらった台本でも、そこらのことは武政英策氏は謙虚に言ってたように思うのだが・・
実は僕は武政英策氏のことはほとんど知らない。
それで、今日は武政氏についてインターネットでとことん調べてみた。すると、やはり武政氏はそこらの事情を謙虚に言ったり書いたりしておられる。そして、それと一緒に、元々は理工系の学校を出て技術系の特許を沢山取ったり、それでも音楽への道をあきらめ切れず、精進して、音楽面でもいろいろな功績を残した人であることも出て来た。
「まぁ、これは著作権が誰にあるとかそんな低次元なことに巻き込むようなひとじゃないですねぇ。これは又すごい人ですねぇ。それが分かって今日はほんとに良かったですよ。」
U田さんのところには、鯨部隊が歌っていた「南国土佐を後にして」のカセットテープなどもあって、それから後は先生のオーディオルームでそれを聞かせてもらったりもした。
U田さんには先日の打ち合わせの時もらった今度の舞台の招待券を差し上げたのだが、見に来られたら更に武政氏のことが分かるかもしれない。
しかし僕がなにか失敗したらそれを見られてしまうな・・・(-_-;)