2008年7月3日(木)

ノスタルジー

 昨日たまたま点けていたテレビで、谷病院がある五台山を扱った番組をやっていた。その番組は今は亡き漫画家はらたいらさんの「おらんく風土記」というタイトルだったろうか・・。はらたいらさんとKUTVのアナウンサーの伊藤周子さんが高知県内のいろんな場所や人を訪れて話を聞くという番組。

 テレビ局のKUTVが、単なる再放送ではなく、その時ゲストに出た人や取り扱った内容が今はどんな風になっているかを付け加える形で再放送している。面白いのは、今現在その放送を流した時を懐かしむように扱っているが、その再放送の中、つまり過去においても、更にそこから昔を懐かしがったり惜しんだりしていること。

 時の流れと共に世の中が変わって行き、町の風景やそこに住む人の世代も変わり、なにもかもが懐かしくも過ぎて行くのが惜しくなる・・・そういう状況がずっと続いているということなのかも知れない。

  昨日流れていた五台山を扱ったものでも、昔五台山にあった見事な松のこととか、「浦戸のじゃん」と呼ばれていた、海の底から湧いて聞こえるなんとも不思議な音のことを懐かしむように扱っていて、その部分は20年くらい(?)前に収録されたものなのだ。そして、番組の終りの辺りでは更に、その収録当時と今の変化を少し見せて時の流れを感じさせる・・。ノスタルジーが連鎖してるんだな・・・。

 「ノスタルジー」という言葉にはどこか物悲しい色合いがつきまとうが、ある意味「ノスタルジー」に浸れる状況というのは平和な証拠なのかも知れない。

 世間が変わるといってもそれが天災や人災による「激変」で、多くの人が嘆き悲しむというようなことがあると「ノスタルジー」どころでは無くなる。

 沢山のヒット曲の詩を書いている松本隆さんが「センチメンタルは気持ちいい」という表現をしていたが、物悲しい、淋しい色合いのノスタルジーもセンチメンタルも「そこそこ平和」という安定の中で少しマイナーな気持ちを楽しんでいるところがあるんだろうと思う。

 日本人はそこらが好きなんだな、きっと。

 センチメンタルもノスタルジーも「淋しい」「哀しい」ように見えて、その本質は実は「幸せ」なのだ。

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 センチメンタルパソコン。詩情あふれる事業運営の工房GUSUKU。

 今日は木曜日で谷病院の日。気持ちが乾かないように気をつけて、さぁ、五台山にでかけるか・・・