2008年7月4日(金)
金曜日はいつものU田さん。
今日はネット検索でMAZDAがル・マンで優勝した時のことを随分と調べた。
85歳のU田さんは今でも自動車を運転されていて、その車はMAZDAとのこと。
「ロータリーエンジンは『夢のエンジン』と言われていて、他のメーカーでも研究したんですけどどこも失敗したのを、MAZDAがやり遂げたんですよ。でも、その直後にオイルショックが来て、ロータリーエンジンは燃費が悪いという風評が立ったりして、アメリカに輸出予定だった何千台もの車が広島の埠頭で野ざらしになるというようなこともあったんです。ロータリーエンジンは何かのたびに障壁が立ちはだかる不運のエンジンなんですよ。そのかわり、宣伝してもしなくても新しい型が出ると必ず何千台かは売れるという、確実にファンをつかんでいるエンジンなんです。」
U田さんはご自分がMAZDAを買ったすぐ後にオイルショックが起きて、そういう不遇のエンジンを作ったMAZDAという会社そのものの歴史や動きに関心を持っておられた。そして、愛媛のどこかの温泉に行っていた時に、そのロータリーエンジンを載せたMAZDAの車がル・マンで優勝したのをテレビで目にしたというわけ。(ちなみに、U田さんはかなりの温泉通で、全国のあちらこちらの温泉のことをよくご存知だ。)
「優勝した車だけに許されて、優勝した車はゴールの後に2週するんですけど、あの場面はほんとに感動的でしたよ。」
調べてみると・・・
その年は1991年。ル・マンにもロータリー・エンジンに対する障壁があって、その年は「来年からはロータリー・エンジン搭載の車での参加は認めない」と決定された、ロータリーエンジンにとって最後のチャンスの年だった。
MAZDAのレーシングチームはその最後のチャンスの年に、世界にロータリーエンジンの力を見せ付ける。開発の苦労、「燃費悪し」の風評、そしてル・マンにかけるチームの情熱・・・。
最近は検索するとYoutubeの映像によく行き当たる。今回はNHKがその時の様子をプロジェクトXにまとめたものや、ル・マンで優勝した時のテレビ放送のダイジェスト映像もupされていて、今日のパソコンタイムはル・マン一色だった。
ちなみに、MAZDAはその年でル・マン参加は終了予定だったが、優勝したため、翌年はディフェンディングチャンピョンとしてロータリーではないエンジンで参加して4位になっている。
更にちなみに、最近のMAZDAは、エコロジー車として水素を燃料にするエンジンを開発していている。既に環境省に5台、ノルウエーには30台の納入の実績もある。エコ車としては電気で走る車がテレビでよく紹介されるが、ここでもMAZDAは独自性を打ち出している。
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とここまで、書いて思ったけど、僕も俄(にわか)MAZDA通だな。
映画だけでもU田さんとのお付き合いで僕も随分といろいろなものを見ることになったが、U田さんの興味関心は多方面にわたるので、僕もいろんなことを知ることになる。
ちなみに(今日は「ちなみに」が多い!)、映画の方は、今日は「長崎の鐘」 「禁じられた遊び」を見せて頂いた。