2008年7月23日(水)
今日は変則で短大授業最後の日。1時限目2時限目を使う。
1時限目は前期最初の授業を僕が休講にした分。
僕らが学生だった頃は休講はちょっとした先生からのプレゼントみたいなもので(と勝手に解釈していた)、その分を別の日に必ずやるというようなことはなかったし、この短大だって何年か前までは穴埋めは必要なかった。それで、今回もそのつもりでその後の授業の組み立てで僕の授業はきれいに終わったつもりだったのだが、「休講にした1日分をちゃんとやって下さい」ということになった。
聞くところによると、これはつい2年前くらいからのことで、文科省なのかな?、そういう指導があったんだって。
病院なども第三者機能評価なんていって、外部からの目でその病院を評価したりする。学校にもそういう傾向が広がりつつあって、それこそ今日授業の一部を使って学生に書いてもらったアンケートというようなものもある。これは、学生の側からその授業や先生のあり方を評価するような内容。
内から外から意見を聞いて、ものごとを公正に、そしてよりよくしようという時代の流れでいいことなんだろうけど、細かすぎて融通が利かないというのもひとつの問題。
時の流れがゆるやかで、全体に鷹揚だった「古き良き時代」を懐かしむ気持ちは、スピードと効率が求められ、人の目で縛りあってる昨今の風潮とバランスを取ろうとする心の働きなのかも知れない。
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ところで、今日の2時限目は四国電話工業のY野先生が薬剤管理ソフトの授業に関するレポートを生徒たちに書いてもらうという使い方だったのだが、その間にY野先生と学短のH田先生とでいろんな話が出来た。
四国電話工業というと電話関連が主に見えるが、薬剤管理ソフトの提供やフォローもしているとか、僕の近所にいらっしゃる学短でパソコンの授業を持っておられた先生のこととか、なんとY野先生も実は学短の出身であるとか・・。
「こうして話してると、どんどん共通に知ってる人とか出てくるんでしょうネ。」
学短を卒業して以来、そのままこの学校に就職して今日に至るというH田先生に、もしかして僕の教え子だったI上のことを知っているか聞いてみた。彼のことはこの日記を書き始めた頃、よく書いた。僕は中学、高校と彼の家庭教師をしていた。そして、彼は大学卒業後一時学短で事務員をし、それから一念発起して先生の資格をとり後々には工業高校で使われるパソコンの言語の教科書を執筆するまでになった。残念ながら、40代で病に倒れたのだが・・。
「エエ?I上先生をご存知なんですか?I上先生こそ、私をここに送り込んで、自分は他所に行ってしまった人なんですよ。」
アレレ、話はしてみるもんだ。H田先生はとても美人の若い先生で、I上の時代と重なるとは思わず、今日だって試しに聞いたという感じだったのだ。
そういえば、彼は短大で就職担当だと言っていたから、彼がH田先生の就職の世話をして、H田先生はここに勤めることになったということなのか・・
ほんとに話しているといろんな人間関係がつながって行く。
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今日は短大の前期の授業最後の日。
こうして更に親しみを感じるようになった両先生とも、道で会ったらそうだと分かるようになった子供たちともしばらくさよならだ。後期は10月から始まる。
Y野先生とは又来年ということになるだろうか。
みなさん、お元気で。