2009年2月20日(金)

祇園の姉妹

 U田さん宅での映画鑑賞タイム。今日見せて頂いたのは「祇園の姉妹」。

 山田五十鈴さんが光っていた。存在感が際立っている。時を越えて、今見ている映画の中で今現在のことのようにその存在が迫って来る。

 山田五十鈴さんも僕らの世代にとってはある程度のお年になってからの記憶しかないわけだが、こうやってその若い頃の姿を見れることはとてもいいことに思う。自分一人の人生だけでは範囲が狭すぎて見えてこない「人生のようなもの」が、二世代、三世代と見るうちにおぼろに見えてくるような・・・。

 そういうことがもっと大きな視点に立った時に歴史を知るということが大事になってくるのだろうか?人類が繰り返す愚かな行為や、時々光彩をはなつ人間の偉業。学校で習う歴史では人の顔が見えて来ずピンと来なかったけど、歴史を学ぶ必要性の原点はそういうことだったんだろうな。この年になってこういうことを感じているのだから我ながら幼稚なものだ。

 でも、これから先、歴史の量が増えるにつれ歴史を知るということはどんどん大変になって行くんだろうな。

 僕の場合は僕のスケールの小ささで、歴史というよりは、比較的近いひと世代前、ふた世代前くらい前までしかピンと来ないような気もする。時々、太古や何百年も前の人がやはり同じ人間だったんだと思える時だけ時が無くなってワープすることもあるけど・・・

 映画の筋とは別にこんなことを感じさせてくれた「祇園の姉妹」。残ったフィルムに欠落部分があるらしく、終わりのあたりが結果的にカットされている。その時代にオンタイムでこの映画を見たことのあるU田さんも一番心に残っていた最後のシーンが無くて残念だとおっしゃっていた。

 「カットされてオリジナルじゃなくなるとその映画の良さが台無しになるんですけどねぇ。それでもこうやってDVD化されるというのは不思議ですねぇ。今の人もこういうのを見る可能性があるということでしょうかねぇ。」

 U田さんによれば「祇園の姉妹」はこれまでにビデオ化されたこともなく、幻の映画的存在だったとのこと。それがつい最近になってDVD化された。

 売れようが売れまいが、こういうものは世の中から消失してしまわないように製品化して、販売、購入という形で世間に複数バックアップを置く状況を作らないといけないような気がする。