2009年5月1日(金)

危険な関係

 今日U田さんのところで趣味タイムに見せて頂いたのはフランス映画「危険な関係」。

 背徳の美学・・・というか、歴史のある国には「清く貧しく美しく」と並行して、「背徳」や「異常性」にも芸術的な価値を認める感性が育っている。

 日本舞踊にもいくつかの「狂女」ものがあって、それがずっと演じ続けられ、しかもそれがずっと受け入れられているのもある意味日本人の感性の豊かさの証拠なのかも知れない。もういい加減、そっとしておいてあげたらとも思うのだが、大衆は自分を傷つけない形で人の痛みを楽しむ傾向がある。

 背徳とか異常性にはどこか人の心を引きつけるところがあるのだ。

 芸術というもの自体がヒトという生き物の回りくどい頭脳回路から生まれていると思えば、ソレモアリナンてことなのかな・・。(もしかしたら「複雑」やように見えて極めて「単純」なのかも知れない。)

 何かにつけシンプルを目指すと「清く貧しく美しく」の方が物理的にしんどくても精神的にはスッキリなんだけど、一方で、物事をただ善悪で分けず、ソレニハソレノイミガアル、カチガアルと捉えると、ものごとの全てが大きな広がりを持って来る。その大きな広がりを受け入れるにはとんでもない許容力、もしくはいい加減さが必要で、それがないとシンプルな方向に走る。

 歴史のある国には・・と書いたけど、この原作本が出来た時(18世紀)もこの映画が製作された時もフランスでは不道徳だという大きな非難があったとのこと。でも、この話は何度も映画化され、「なんでこういう話なの?」といきなりの役柄の飛躍に戸惑いを感じたペ・ヨンジュンの「スキャンダル」という映画も、この話を下敷きにしているらしい。明らかに人の心をつかんでいるのだ。

 今日明日の暮らしに追われない貴族社会の、思うがままの欲望、思考、行動に、人間の本質の一面が垣間見れる、そんな魅力もあるのかも知れない。