2009年5月14日(木)
谷病院の後、それほど遠くないところにあるとある宗教団体の人の誘いでその人と話をすることに。
彼女は僕を「助けてあげたい」と思ってるのだが、僕は「助けてもらう」気は一切なくて、何か大いなるものにお手伝いできないか、それが出来なくとも、日々文句を言わず、何事にも感謝して生きて行けたらと思っている。
思ってるだけで、「出来てる」と言えないところが弱いところだが、それでも「いいことがあるよ・・」っていうのには魅力を感じない。もう恵まれ過ぎてるくらいだし。
「それでも、自分ではどうしようもないこともあるでしょ?家族の健康とか事故とか・・・」
それはそうかも知れないが、不安感情を煽って保険や健康機器を買わせるようなこと言わないで欲しいんだけど・・。
僕の中には他の疑問もあってそれは率直にぶつける。
「邪教、邪教って言って他の宗教をやけに否定するけど、そのこと自体どこか品がないことない?そもそも邪ってヨコシマってことでしょう?ヨコシマって悪意があって人をおとしめるというような意味合いでしょ?そういう言い方はないんじゃない?」
「けんど、それはネ。(膨大な言葉・・・)」
オウ、疲れて来た。
「エライこと、戦う姿勢の宗教みたいだけど、そもそも戦うということ自体に問題はないの?」
「それはね、昔なら融和という在り方もあったけど、今は末法だからそうじゃないといかんのよ。(その後、またまた膨大な言葉。)」
いつが末法とそうじゃない時の境い目なのかも知らないから理解できない。昔のエライ人が、仏法の始まりから何百年までは○法で、何千年後からは末法の世だと言ったのかも知れないけど、それはどうやって本当だと確信できるのだろう?
どんどん疲れて来る。後の予定も気になり出した。
「いかん、そろそろ帰るわ。後の予定もあるし。」
僕が彼女の言ってることにウンと頷いていないからだろう、話が止まらない。聞き捨てならない話も出て来るので、さらに何か答えるとそれにもちゃんと答えが返って来て時間が延びる。これって見事な理論武装?洗脳されてる?
左目の瞼が痙攣して来た。これは僕が極端に疲れてる時に出る症状。
「いかん、今日はとに角帰るわ。」
強引にその場を去ると、とに角これだけはいっとかなくてはいけないというように追いかけて来た。
「宮城さんは、他の宗教も大事だと思ってるからそういう迷いがあるんだと思うよ。」
「まぁ、とに角今日はこれで許して。」
許して・・と言ったのが良かったのか、許してくれた。
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目の前の人間が帰りたいと言ってるのに帰さない、そっとしておいてくれと言ってるのにそっとしない。
おしつけがましい善意って善意にはならないと思うんだけどなぁ。
まぁ彼女は僕を助けたいといいながら、実際は教祖様のいいつけを守って信者を増やしたいだけで、心は目の前の僕には注いでいない。
この宗教の人ってみんなこうなんだろうか?それとも、その宗教の中でもこの人独特のことなんだろうか?
疲れた。ドヨ〜ン・・・