2009年7月13日(月)

屋根の上のがちょう

 午後3時半、日高の「屋根の上のガチョウ」という喫茶店で芝村さんと待ち合わせ。

 ここは県内のあちらこちらに喫茶店を出している現代企業社というところが出している喫茶店。ネーミングがいかにも現代企業社らしい。高知から佐川に向かい、佐川までもうちょい、でもまだ日高・・という場所に「道のレストラン」という看板と大き目なレストランがあって、その脇に隠れ家っぽい雰囲気でこの「屋根の上のがちょう」がある。

 芝村さんは昔僕が舞台仕事に引っ張り込まれたばかりの頃に互光舞台照明にいた人。その頃は年に一度くらい自分自身のコンサートをやっていて、僕もその手伝いをしたことがある。

 そして、僕が病院勤めを始めた頃、やはり以前の名残りで彼のコンサートの手伝いをしていたら、そこへ僕が勤めている病院の院長夫妻が彼のコンサートを見に来て「アレレ・・」ということになった。なんと、芝村さんと院長はいとこだったんだ。世間は狭いというべきか、縁は異なものと言ったものか・・。

 で、彼のピアノ伴奏をしてた人が後になって、病院の院内行事にボランティアで歌いに来てくれた合唱団のピアニストだったりと、不思議な縁はしばらく続いた。

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 その芝村さん、久しぶりにコンサートをやることになって、又僕も手伝うことになり、今日はその打ち合わせ。

 「屋根の上のがちょう」には立派なアンティークな足踏みオルガンがあり、たまたまこのオルガンに出会った芝村さんが現代企業社の社長さんに話をしたら社長さんは結構なお金をかけてそのオルガンを修理してくれた。

 これでそのオルガンは店の雰囲気づくりの置物から音の出る楽器に蘇った。新聞社もそれを記事として取り上げてくれ、その影響で問い合わせも多く、今回のコンサートは当初1回の予定だったのがもう一回追加になったらしい。

 久々に会った芝村さん、お互いに同じ年の生まれで、同じように歳を重ねているわけだが、印象はあの頃のまま。

 僕らが子供だった時の50代はほんとにお爺さんお婆さんぽかったけど、今の50代は「大人になれない症候群」という言葉が出てきた頃若者だった世代だから・・・。

 手伝いといっても「屋根の上のがちょう」はこじんまりとした喫茶店で、35席ある店内の椅子やテーブルの配置を変える会場づくり的なもの。

 「椅子が足りない時は隣のレストランから椅子を運んでくることになるんですけど、雨が降らなければいいんですけどねぇ。」

 「アッ、そうなんだ。僕、雨男だからあんまりまじめに取り組まない方がいいね。僕が意気込んでしまうと雨を呼ぶから。」

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 というわけで、僕は極めて無責任にお手伝いすることになりました〜。