2009年9月25日(金)
「私が熊本にいた時に近所に中国語を勉強して満州の方で活躍しようとしていた人がいたんですけどねぇ。戦争に負けて中国に行くどころか日本人は中国から追い出されてしまって、水前寺で趣味でやってたバレエの教室を始めた人がいたんですけど、ネットで出て来るんでしょうかネー。亀井さんっておっしゃってたんですけど。」
U田さんは最近その方の夢を見られたらしい。
キーワードは、「水前寺」、「バレエ」、「教室」。
なかなかそれらしき教室に行き当たらない。というか、水前寺のバレエ教室はいくつか出て来るけどそれがU田さんのおっしゃってる教室なのかどうか、せめて教室の名前が分かればいいのだが、それだって長い年月の内に変わっているかも知れないし。
「熊本」、「バレエ」・・・、キーワードを微妙に変えて検索する内に、熊本のFM局に催し物の紹介にやって来たということで二人の若い女性のバレエダンサーの写真とその時の記事が載ったぺージに行きついた。なんと、そのお二人の内の一人が亀井さんということで、九州バレエ教室というバレエ教室の指導主任的な立場らしい。
もしかしてこの方はU田さんのお知り合いのお孫さんなんじゃなかろうか?
次は「九州バレエ教室」というキーワードで検索して行くと、九州バレエ教室の校長のお名前が出て来て、それがU田さんのお知り合いの方の名前とたった一字違いでとても似ている。
この方はきっと息子さんだ。
U田さんのお知り合いの方はもうお亡くなりになっていて、その時の闘病の様子をご家族が手記にしてU田さんにも送って来られたことがあるそうで、そのご家族がこの方に当たるのかも知れない。
調べるうちにこの校長先生も何年か前に亡くなられているらしいという悲しい検索結果になったりもした。
「もう、あれから60年ですよ。そうすると、あの時のバレエ教室はうまく行って、今も続いていると思ってよさそうですねぇ。」
しみじみとおっしゃるU田さん。
これが長い人生を歩んで来られた方の感慨の深さだ。
同じページに行きついても、人生のあれこれを経験していない人間には単なる通りすがりの目の前の情報にしか映らない。
バレエ教室の名前が分かればその電話番号も分かる。
その番号に電話をすれば、そのバレエ教室がほんとにU田さんのお知り合いが始められた教室なのかどうかも知ることが出来る。
場合によってはそこから実際の人間どおしの交流だって始まるかも知れない。
その可能性を感じると、情報にもただの情報と活きる情報の違いがあるのがよく分かる。
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今日はU田さんの身の周りの手伝いにH田氏も来ていたし、他にもいろんな調べごとや話をしてどれも印象深かったのだが、このバレエ教室の件は中でも印象に残ったことだった。