2009年10月25日(日)
今日は佐川のSさんのところへ。
佐川に来るのは久しぶりだ。山合いを流れる大きな川沿いに盆地状に広がる町。入り口出口付近の、佐川町にとっての近郊(?)にはコンビニや大手家電品店のチェーン店もあるが、町中に入るとそういう今風なものにあまり俗されてなくて昔の風情が残っており、それが今も現役で機能しているのがいい。
ここに来るとどこかホッとする。仕事は1件でも、長居してしばらくは自分の生活空間とは離れた土地の空気を吸っていたい感じ。燻製鮎の矢野さんのところもあるしお互いのタイミングが合えばそれが出来るんだよなぁ。
でも、今日はとんぼ返りでイオン横の敷紡跡まで帰らないといけない。そこでは生協祭りをやっていて、僕はからたちさんから終わった後のステージの撤収に呼ばれている。からたちさんのところだって久しぶりで懐かしい作業だから、これでタイミングがもう少し違っていればよかったんだが・・・
今日は線路脇にある矢野さんのところを横目に見ながら早々に帰るしかないか・・
と、車を走らせながら矢野さんちの方を見ると、車が止まっている。いるんだ!
時間を確かめ、これなら少しは大丈夫と思ったので少しだけ寄ることにした。
矢野さんは燻製鮎なるものを考案したりして事業家タイプの人に違いないのだが、工場前の広場で七輪で魚を焼きながらビールを飲んでたりすると、現代人とは違うユッタリとした時間感覚を醸し出せる貴重な人。
もっとゆっくり訪問したいのだが、今日は仕方ない。
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生協祭り撤収作業には予定より15分くらい遅れて到着。作業をしている中に昔の大道具仲間の忠君がいた。からたちさんと僕が知り合ったのは彼の紹介だったんだった。
久しぶり(^.^)というようにお互いに片手を挙げる。
なんか、忠君、前よりさわやかな感じになっている。以前の彼は世の中の表も裏も知ってるような、ものごとを少し斜にみてるニヒル系のイメージがあったのだがどうしたことか・・
なんと彼は動脈瘤破裂で病院に運び込まれ、生きるか死ぬかの状態だったらしい。そして、退院して社会復帰したのもつい先日のこと。
それで、もうこういう仕事をしていて大丈夫なんだろうか。先月分かったことなのだが、昔の道具仲間のN町さんという人は動脈瘤破裂で今年の3月に無くなっていた。
「なんでもリハビリよ。生きてること自体がリハビリかもしれん(^.^)」
なんか、さわやか系になってるなぁ。
作業が終わって帰り際の言葉は・・・
「寂しくなるから生きててネ。」
僕が言うと・・・
「You, too.」
と忠君。
オウ、この、返しの早さは以前の忠君そのままだ(^.^)
50も超えた人間の久しぶりの別れのあいさつはこんなものにもなってしまう。