2009年12月25日(金)
今日は今年最後のU田さんの日。
今日のいい話は、U田さんを頼ってやって来るH田さんが就職出来たという話。
H田さんはU田先生のところに映画「野菊のごとき君なりき」を何度も何度も見に来たり、そのお子さんを連れて来た時に子供たちがU田さんのところへとても親しげに駆け寄って来たりということもあって、先生がその行く末をとても心配されていた人。
もっともっと若く見えるけど年齢は50前、その年齢での再就職というのは思う以上に大変らしい。僕は47歳辺りで病院勤めをやめ、「人に雇われての仕事はもういい」との思いから今の仕事を始めたので、そこらの苦労を分かっていない。でも、病院に勤め始めるまでの2年くらいの30台後半に「この先どうなるのやら」という一度目の失業時代を経験している。
頼るものは何もない小さな小船で海を漂っているような気持ちになることがあった。
元々帆も扱えなければ櫓もこげないので、なるにまかせて幸いとある病院に再就職することが出来たが、失業時代の経験があったからこそ、他の職員が嫌がったり大変に思うようなことに「仕事があるだけでありがたい」と笑顔で取り組むことが出来、そこでパソコンとの出会いがあって今に至っている。
僕の場合は「チャンスが僕を逃さない」のでまだまだ恵まれている。
H田さんはその失業期間を僕の倍経験しているのに世間に擦れたような様子のないとても感じのいい人で、僕もなんとかならないものかと思っていた。僕のお客様で職安に勤めているO村さんを紹介し、H田さんはヘルパーの資格取得のための講座を受けることになった。
でも、何がどうなるものやら、そのことがU田さんのお知りあいの人材派遣会社の紹介で週に2回行っていた仕事を失くすことになる。
ヘルパー養成講座に通う間は人繰りを工面してもらってその仕事も出来ていたのだが、資格取得の試験の日はどうしても休まざるを得ない上に人の工面も付かず、人材派遣会社としてはその日に無理に仕事をあてがった人をその後外すわけにも行かないため、結果H田さんは仕事を失ってしまった。
「常勤の仕事が欲しくて行き始めたヘルパー取得講座のたった1日の試験の日のために今までやってた仕事も失ってしまって、ヘルパーの仕事も年齢からするとなかなか難しいかも知れないのに、これも運というものなんでしょうかネー。」
それを聞くと自分がしたことが良かったのかどうか僕にも分からない。昔の病院仲間で婦長をしているK田さんと会った時には「僕の知り合いにこういう人がいるんだけど・・」ともしもの時のお願いの準備もしていたのだが、H田さんは自力で仕事を得たのだ。
良かった。
U田さんが白内障手術を受ける時、付き添いで同行してくれたのはこのH田さんで、ご本人に連絡を取ることを遠慮した僕はこの人に電話することで当日の様子も知ることが出来た。この人がU田さんと関わっていてくれると僕も安心できる、H多さんはそういう人。
良かった。