2010年3月12日(金)
今日のU田さんとの映画タイムには水俣病に関する記録映画を2本見せて頂いた。
U田さんは水俣病が騒がれたちょうどその頃に熊本大学にいらして、水俣湾の水の採取など、いろいろと立ち働いた時があったとのこと。先週、水俣病のその後についてネットでいろいろ調べたら、水俣病に関するドキュメンタリー映画を販売している会社のページに行き着き、U田さんは即購入を決められた。
それを今回は見せていただいたわけ。
水俣病についてはニュースなどでその名前を聞き、それなりに知ってるような気分でいたが、ドキュメンタリーを見るにつけ、自分が何にも知らなかったと知らされる。
まだ、「公害」という感覚が生まれていなかった時代に、「公害」という見方を日本にもたらしたおそらく最初の事件、水俣病。
被害者の例えようもない苦しみに対して、被害をもたらした企業や行政はいつまでも守りの態度。裁判で負けが決まった後も控訴を続け、対処は先延ばし。その間に被害者側は亡くなったり、新しい発症者が出たり、抗議活動をするにも、自由の利かなくなった体を押しての危険な抗議活動。
目の前、そして見えないところにも、同じ人間の幾重もの苦しみがあると分かっていながらも、厳しい認定基準。それは、「そんなに保障していたら、こちらがもたない。」という理由だけの先延ばし戦略で、当事者の苦しみからはあえて目をそらしているようにさえ見える。
それはそれで苦しいことなのかも知れない。
でも、当事者はもっと・・・
病だけでも大事件なのに、それを認めさせる戦いまでしないといけなかった。
こんな風に書きながら、映像で見ただけでは、僕だって当事者の方々の苦しみはちゃんと分かっていないと思う。
「現実はもっと生々しかったんでしょう?」
「そうですよ。人権とかなんとかで、患者さんの様子を全て出すわけにはいかないんでしょうけど、このドキュメンタリーを見てもあまり大変そうには見えないですヨ。実際は、もっとひどかったですヨ。」
こういうことがあったことを忘れないように、同じことが繰り返されないように、こういう映画も残さないといけないのだと思う。
中国では、同じようなことが今進行中らしいというのが怖い話だ。