2010年 4月 16日(金)
金曜日はU田さんの日。
「昔のこととは言え、『845』のことは誰かが思い出としてでも、何か書いていそうなものんですけどねぇ。」
「まだインターネットなんてものが全く無かった時代のことですからねぇ。」
『845』というのは真空管の名前で、U田さんがおっしゃっているのはその845を使った真空管アンプを置いていた、それこそ『845』という喫茶店のこと。店主はオーディオのシステムを作るのが元々メインの方で、そのアンプで音楽を聴ける喫茶店を作っていたらしい。
実はこの方、30年前くらいに僕もお会いしている。万々の小さな川沿いに2本の大きな煙突状の突起物のある音波研究所という名の建物があって、その2本の突起物は2台のスピーカーのホーンだった。僕は、オーディオ好きの元家庭教師の生徒I上に誘われてそこに行ったのだが、糸ドライブのターンテーブル、家の屋根を改造したこだわりのスピーカーから出る音にびっくりしたものだった。その頃はまだ喫茶店のような作りではなかったので、U田さんが頻繁に行かれたのはその後のことのよう。
「あの人はねぇ、オーディオのことを話し出したら話が止まらなくて、845のアンプで音を鳴らすと客よりも誰よりも本人が何とも言えないウットリとした顔をして、ほんとにやりたいことをやりたいようにした人でしたよ。Y本さんという人でしたけど・・・」
実はこの件、以前にもネット検索で調べて何にも出て来なかったことがある。今日も「845」「真空管アンプ」「喫茶」などのキーワードで探すが別件ばかりヒットする。
「最後にお会いした時には軽四にアンプやスピーカーを乗せて、オーディオ武者修行で全国を回ると言ってましたけど、最後まで好きなことをして亡くなったんでしょうねぇ。」
「エッ、亡くなったんです?」
「そうでしょう。私より年上だったと思いますヨ。」
そんなはずはない。僕の記憶では先生より若いはずだ。ヨッシ、今日は先生が名前を思い出して下さったから、それも含めて検索してみよう。キーワードは「音波研究所」「Y本○○」。
1件だけ、有力なページがヒットした。その方は自分のオーディオシステムをネット上で紹介している人で、その記事の中に「音波研究所のY本○○氏から購入したシステム」として、その写真を載せている。そして「Y本氏はただいまオーディオ武者修行で全国を車で周っている」旨の文章と連絡先の携帯電話の番号とY本氏のホームページへのリンクが張られていた。
オー、行き着いた。しかも、ご本人のホームページまであり、そこには三嶺や竜串の写真、イタドリの調理法など高知の匂いがするものが並んでいる。この方で間違いない。
「先生、この方生きてますよ。携帯の電話番号もあるし、いちかばちか電話してみたらどうです?」
先生の顔がパッと明るくなった。
「いいでしょうかねぇ。今かけてみましょうか?」
携帯には高知にいらっしゃるというY本さんの息子さんが出られた。そして今は千葉にいらっしゃるというY本さんの電話番号を教えて下さり、U田さんは何十年ぶりにY本氏と電話での再会をされた。
僕はその様子をそばで見ていただけだが、Y本さんは交通事故か何かでオーディオ武者修行の全国行脚をやめ、今は千葉に落ち着いておられるらしい。年齢は72歳だった。U田さんが持っている受話器からは懐かしそうな嬉しそうな張りのある若々しい声が漏れ聞こえて来る。
オー、今日の検索は大成果だ。人一人生き返らせたんだもんなぁ。
よかった。