2010年4月20日(火)

T島さん、ビンボ類友

 売れてない漫画家のT島さんが昨日電話をくれた。

 「竹の子をもろうたけんど、いらんかえ?ゆがいちょったら、よう料るろう?」

 オウ、それはありがたい。でも、今は家内が神戸の娘のところに行っていて、僕はそういうのまるでダメ。

 「そうか、ほんなら俺なり女房なり料っちょくき、今日は雨やき明日取りにきいや。」

 というわけで、今日の夕方T島さんのところにバイクで行った。

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 T島さんのところへ行くと、ちょっとのつもりがついつい長居になる。

 映画の話、今書いている漫画の話、落語の話、昔のここらはどうだったとか・・

 T島さんは売れていない漫画家なので、超耐乏生活の中で毎日コツコツと漫画を書いていて、きっと人恋しいんだと思う。

 で、その話す内容がやたらと分かり合えるもんだから、話が途切れない。

 今日話が合ったのは、昨日の日記に僕も書いたけど、昔の貧乏は今の貧乏とケタが違うということ。あれこそ、本当の貧乏。そして、自分がそうなりたくはないけれど、何故かその風情に惹きつけられる何かがある。僕は「映画の中に見る昔の貧乏は・・・」というような表現をしたが、僕より6つか7つ上のT島さんはその風情を自分や友達の実体験として心当たりがあるのだ。そういう昔の長屋での思い出話がT島さんの漫画の魅力でもある。

 そんな貧しい中で、庶民が醤油や米を貸し合ったり、まぁ、みんなこんなものだと別段苦痛にも感じてなかったり、そういうたくましさ、大らかさがその魅力なのに違いない。世間の標準が高くなった今、その中でお金に困ったりすると、自分だけが落ちこぼれみたいに感じて孤独になってしまうこの状況は、社会のあり方としては逆に貧しいのかも知れない。

 もうひとつ話が合ったのは、道路がアスファルトで覆われてしまって土が見える道が少なくなってしまって寂しいということ。これは僕もずっと思っていたことで、それがT島さんの口から出たのには、やはりそうだよネと思ったことだった。

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 帰り際、僕の30年もののボロボロのヘルメットを見たT島さんは言った。

 「そのヘルメット、なかなかエイやか。僕がこの前捨てたヘルメットの方がまだ上等やったねぇ。もったいないき誰かいらんろうか言うたら女房にそんな人はおらん言われたがやけんど。」

 T島さん、なんか嬉しそう。

 イヤ、昔の貧乏の風情は好きだけど、今の貧乏の類友はお互いに避けた方がいいんじゃなかろうか・・とも思うのだが、明らかに類友かも知れん。