2010年4月23日(金)
今日のU田さん宅で見た映画は「結婚の生態」。
タイトルがちょっと見、「ン?」って感じなのだが、中身は赤裸々なタブー破りの、禁断の園を暴露するなんてものではない。
男女が出会って結婚をし、その中で理想を追い求めながら、協力し合ったり、それが出来なかったり、そんな中で自分たちも一般的な夫婦の一例に過ぎないと謙虚な気持ちになり、それでも希望を捨てずにお互いにいい家庭を築こうなんて、向上心に満ちた内容。
「先生、これで何か残るものがありましたか?妙に、何にも後に残るものがなくて、又もう一度見ようとは思わないんですけどネー。」
これはU田さんの言葉。
「なんか、登場人物がみんな優等生過ぎて現実離れしているような感じがしましたネー。でも、その頃の東京がどんな感じだったのかなんて部分はそれなりに面白かったですけど・・。」
これは僕。
ビデオについていた解説パンフレットによると、この映画は、その当時ブームになった石川達三の同名の小説を映画化したものらしい。その当時・・というのは昭和16年、太平洋戦争が始まる年だ。でも映画には戦争直前の緊迫した感覚なんて微塵もなく、あると言えば、最後に主人公夫婦の新聞記者の夫が外地に赴任して飛行機で日本を旅立つということくらい。
「こんな内容ですけど、確かに『結婚の生態』という小説はその当時大きなブームになったんですよ。なんでそれほど、ブームになったのか、今から思うと分かりませんねぇ。」
映画の夫婦はお互いの意見をよく聞くし、意見が違えば反発して喧嘩もするし、そこから又仲直りして一段階理解が深まるという、今ならよくありそうな夫婦の形。全然珍しくない。
「もしかして、その時代は、女の人がこれほど自分を出せるような時代じゃなくて、男性も女性をこれほど尊重する人は少なくて、こういう夫婦は逆に新しかったんじゃないです?」
「そういえばそうですねぇ。」
戦争戦争の中、がんじがらめの縛り合いの環境で、戦争の匂いのしない、新しい男女のあり方を書いた小説は、庶民の気持ちを明るくさせる希望の星だったのかも知れない。そして、その内容は今の男女のあり方への予言だったのかも・・・
まぁ、これは後から考えることで、ちょっと見、あまり残るものがないというのはやはり変わらない。
僕ら凡人には、登場人物が立派過ぎるのがいかんのだろうな。やはり、優等生というのはそうじゃない人間をどこか怖気づかせるようなところがあるんだ。
それとタイトルもいかん。今の、タイトルだけで本を買わせる出版社のやり方を思わせる。「結婚の生態」なんて、当時は今以上に「エッ?」と思わせるタイトルだったんんじゃなかろうか?
そういう意味では、この映画の元になった小説は、今の日本を形作る一つのきっかけになったような、すごい(?)小説だったのかも知れない。
映画だけじゃ分からんけど・・ネ。