2010年6月 4日(金)
U田さんとの映画タイム。以前見せて頂いたことがある「二十四の瞳」をもう一度見せて頂いた。
これはパソコンタイムにいろいろと検索をする中で、同じ瀬戸内の島々が舞台になっている「小島の春」のことを調べたりしたことから、昔の映画の中に出て来る、ものが無かった時代の本当の貧乏の様子を又確かめたくなったから。
貧乏だったり、権力には逆らえなかったりの登場人物たちがそのことを喜んでいる筈はないのだが、無力を自覚しながらも運命を受け入れるしかなく、その中で泣いたり笑ったりする様子にはどこか、人間と言うものにいとおしさを感じさせる何かがある。
映画を見ている側は安全なところにいて、暑さも寒さも痛さもないから随分と傲慢な見方なのかも知れない。しかし、こういう時代や人の有り様を知らないでいると、見方どころか人の有り様まで傲慢になってしまいそうで、時々はこういう時代の弱い庶民の様子を確かめておきたい気がしている。
そういう意味では「綴り方教室」などもまた見てみたい映画だ。
「馬」という映画もそういう映画で、これは数ヶ月前に二度目を見せて頂いた。
「次郎物語」、「路傍の石」、「無法松の一生」。
こうして並べてみると、どれも前の時代の現代劇。
その中には話の筋と一緒に、その時代の風景や人の有り様などが残っていて、どうも僕はそちらの方に惹かれているような気がする。
電線で切り刻まれていない空、アスファルトで覆われていない土の道。
貧乏ゆえに、医療が発達していない故に、無力な故に、苦しい現実、運命、人の生き死にを受け入れるしかない人間。
人間の本質は1000年前も2000年前もそう変わらないはずで、たった50年くらいの差では今も何にも変わらないはずなのだが、風情が違う。これは近い時代を生きているがゆえに、微妙な違いに敏感なだけなんだろうか?
「あたたかい幸せ」感はないが、もしかしたら、映画に見るその時代の方が豊かな時代のように感じることさえある。