2010年7月 2日(金)

互光さん経由U田さんの日

 U田さんのところへ行く便を利用して互光舞台照明さんに行った。6月に入ってからは舞台ごとのお呼ばれが無いので江野さんや涼しげさんに会うのも久しぶりだ。

 要件は名刺のお届け。先日書いた名刺の件は互光さん直接ではないが、互光さん経由で頂いたものなのだ。

 出来た名刺を渡して問題発覚。お一人分、字に違っているものがあった。アという字が崎になっている。江野さんはそれで済まないものか気を使ってくださるけれど、人の名前という大事なものだからそれはいけない。「こんな間違いして何やってるの?」と言われてもおかしくないのに、そういう気を使ってくれるのだからホントにやさしい人。

 「僕、全然ダメージじゃないですヨ。このひと組、もう一度作り直しますんで。原稿は一字直すだけだし、カッターもありますから。」

 これはホントに僕の本音。それどころか明日は朝一番で又嬉しそうに名刺カッターを使っているはずなのだ(^^)v

 って喜んじゃって、江野さんには、誠に申し訳ありませんでしたm(__)m

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 U田さんとの映画タイムには僕が先日テレビで録画したドキュメンタリーものを一緒に見て頂いた。これは映画ではない。

 そのタイトルは「死刑囚 永山則夫 〜獄中28年間の対話〜 」というもの。

 戦争や犯罪は、出来れば無かったに越したことはないもの。知っていることを自慢したり、知っていることに安心したりするようなものではないし、出来ればその事実に目を向けたくないようなことだが、目を背けてはいけないもの。そんな思いがある。

 この番組もそういうものだった。

 U田さんは「被害者の方の気持ちを考えれば犯罪はもちろんいけないことですけど」という断りを言ったうえで、おっしゃることがある。

 「加害者には加害者のそうなってしまった何か理由がある筈なんですヨ。もしかしたら、そういう人の方がよほど真っすぐで純粋な心の持ち主かも知れないです。それを人の弱さとか苦しみを知らない、ずっとエリートで生きて来たような人たちが裁くんですからねぇ。状況によっては、自分が逆の立場になってもおかしくないんですから・・」

  同じ判決になるにしても、裁く側にも人の有り様に対する謙虚さ、愛がないといけないということなのだろうが、裁く側にいる人たちは司法試験などを勝ち取って来た言わば「勝ち組」の人たち。勝ち組みが負け組を裁いていて、しかもその裁き方が法律および前例主義の冷たい裁き方。

 おっしゃりたいのは、犯罪がいい、悪いの問題じゃなくて、その後の裁きのあり方のことなわけだ。

 そういったこともあっての裁判員制度なのかも知れない。このドキュメンタリーも、裁判員制度が始まり、また、重大な事件が起きるたびに死刑判決に関して「永山基準」というものがニュースなどでよく出て来るのに世間ではその「永山基準」が出来ることになった死刑囚永山則夫の裁判のことを知る人は少ないと云うのが、番組を作ったディレクターの動機だった。

 それで、どう感じたか、どう思ったかということになると、何にも言えなくなってしまう。

 永山則夫の獄中での変化を思えば無期懲役になって欲しかった。でも、被害者家族の思いは・・?

 裁判ではそれに無理やり答えなければならないわけだ。

 で、その結果を自分で背負い切れないと法律を文面通りにたぐり、前例を探す。

 そもそも人が人を裁くことは出来ないことで、それこそ人の気持ちが分かるようでは人は裁けなくなるのかも知れない。

 そもそも、判決結果と同じことを私的に行えばそれは報復犯罪になるわけでそういう意味では、裁判も一種の・・

 そもそも、法律の内容そのものが国によって合法だったり違法だったり・・

 そもそも、人間・・・

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 おー、考えがめぐって思考にとりとめがない。書き始めてもう2時間以上・・、

 こうやってこの手のことはいつまでも答えが出ないんだろうな。

 自分は安全なところにいて思考をめぐらせているのだから、そのことも問題だ。

 今日は思考停止としよう。