2011年1月21日(金)
U田さん宅での映画タイム、今日は三度目の「綴り方教室」を見せて頂いた。
去年の暮れに女優の高峰秀子さんが亡くなって、僕としては今年は追悼年間。先週は日記に書いてないが、「浮雲」を見せていただいた。
しかし、追悼の気持ちで見せて頂く映画だが、映画の中、少女時代の高峰秀子は永遠の輝きを持ってスクリーン上で生きている。
これはすごいわ。過去のものとして消しようがない。
作品自体も昭和初期の現実の力を持っていてすごいんだけど、それを演じている当時の俳優、女優もその時代の空気をしっかりと醸し出している。
その頃の「貧しい」は今の「貧しい」とは「貧しい」が違う。とにかく家の中にものが無いといえばほんとにものが無いんだよねー。
その代わり、心の貧しい、貧しくないは又別の面がありそうにも感じるところがこの映画のいいところ。
モノに貧しいと、人は助け合ったり、赦し合ったり、ココロは豊かなのかも知れん。
そういうことを言いたくて作ったんじゃないだろうけど、随分と時が経つとその時代性が浮き立った来るように思う。
その映画の中で際立って活き活きと伝わって来るのが、高峰秀子演じる主人公の女の子だ。
「綴り方教室」は当時の学校の綴り方普及運動の中で、実在する女の子が書いた作文が元になっている。だから、その女の子自体が活き活きとした、健気な女の子だったんだろうけど、その子を演じる高峰秀子がこれまた、そのまんまなのだ。
あの輝きは永遠だ。
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この映画、ネットで検索すると、元になった「綴り方教室」の本はいくらでも出てくるが、映画はDVD化されていないみたい。
過去のいろんな作品がどんどんDVD化されているのに、この「綴り方教室」がDVD化されていないのは不思議でしようがない。
この映画は、もっともっと沢山の人の目に触れるべきものなんだけどなぁ・・。
おかげで今は独り占め出来てる感じだ(^.^)