2011年10月28日(金)
金曜日はU田さんの日。
パソコンタイムが済んだ後は映画タイムで、今年はほとんど高峰秀子が出演している映画を見ている。去年の暮れに高峰さんが亡くなって、今年の初め頃の日記で後追いのおっかけをしたいというようなことを書いたのだが、その時点ではU田さんがお持ちの高峰出演の数本のビデオを繰り返し見るとか、レンタルショップでDVDを借りて来て見るくらいしかあては無かった。
ところが、遅ればせながらギリギリのタイミングで対応した地デジケーブルテレビの「日本映画専門チャンネル」では、半年に及ぶ高峰秀子特集を組んでいて、そのおかげで、DVDにもなっていない、普通のチャンネルでは放送されない、そんな高峰秀子出演の映画を次々と見ることが出来る。
これだけ高峰秀子の映画を続けて見ていると、その存在感たるやしっかりと僕の頭の中に刻まれて、もはや彼女は生きるも死ぬも無く、永遠の存在のイメージ。
人は自分が生きていた証(あかし)として何かを残すということを無意識に追い求める傾向があるように思うが、「残す」「残る」ということはこういうことなんだろうとオボロに思う。それは、人生のそれぞれの場面で輝きを放つということ。
はなやかに輝くのか、暗く輝くのかの違いで、生きてる限り輝いていない人は誰もいなく、はなやかも暗くもそれぞれに価値があることで、みんな残ってみんないつかは消えて行くんだろうけど、残された人間が時々思い出しては、そのイメージに少しでも明るい気持ちを持てるなら、その人は死んだあとも良く生きているような気がする。そんな輝きを、生きてる今、時々でいいから放てたら・・
銀幕のスターでもない小市民は万人の力にはなれないけど、せめて半径10m以内の身近な人にそんなイメージを残していければいいよなぁ。でも、それだって大変と言えば大変なことなのかも知れない。
そう思うと、高峰秀子って、やっぱりすごいよなぁ。やっぱりスターなんだ。まばゆく輝く夜空の星なんだ・・