2011年11月14日(月)

最後は全て人と人

 あぁ、今日の経験を明日の授業の子供たちにうまいこと伝えられたらいいんだけど・・。

 朝一、午前8時には家を出て女房をK吉病院へ。女房は胆石が出来ていて胆嚢の除去手術を受けることにした。

 久しぶりに来たK吉病院は以前来た時とは見違えるくらい近代化されていて、受付システム、案内システム、随分と機械仕掛けになっていて、そのアナウンスは授業で僕が生徒たちに伝えた「病院の倫理」とか「病院の接遇」とかを見事に具現化していた。すごい!!こういうシステムを作る時には入念に作り込むらしい。

 でも、病院対患者、一番大事なところは医者と患者、看護士と患者、相談員と患者、みんなみんな人の直接の触れ合いで決定される。

 今日のお医者さんは、その仕事の重大さ、責任ゆえにテキパキとし過ぎてひとりよがりの感。元々、弱った状態で会う患者は「ハイ」としか言いようのない威圧感がある。

 どんなにすごい理屈と気配りでシステムを作っても、最終的にその病院の空気を作るのは『人と人』なのだ。

 そういう意味では、アナログな人間関係をおろそかにしないことこそ最も大事なことなのだ。

 その環境での長い待ち時間、僕は呼吸法を意識して、随分と長い時間深い息をしていたんだけど、悪い気を取り込んじゃったんじゃないかと後で心配している。

 病院というところはどうかすると沢山の邪気が淀む空間、あんまり近づくところじゃないかも・・、と、元病院職員のミヤギ君は思うのであった。

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 午後1番、訪問したのは介護支援事業所の「りん」さん。ここではF原さんの病院勤務の時の話が聞けた。

 寝た切り7年の高齢の男性にF原さんは接触のあるたびに何の反応がなくても、とにかくずっとずっと話しかけながら看護をしていた。ただただ寝た切りで反応の無い患者さんのご家族はどんどん足が遠のいて、見舞いに来る回数も減って行く。

 患者さんの状態が悪くなり、呼吸を確保するための処置が取られた時、ご家族から疑問が。

 「おじいちゃんはこんな状態で生きていてそれでいいんでしょうか?」

 F原さんはいつものように、その方に話し掛けた。

 「ご家族が、こんな風に聞いてるけど、○○さんはそれでいいの?」

 すると、7年間全く返事を返さなかった植物人間状態の患者さんが大きな声でうめき声を出した。言葉はないけれど、それは「NO.」の意思表示。

 ご家族は意思の疎通が出来ないからと足が遠のいてしまったことをとても悔やまれた。そして、呼吸確保の処置は取り外されることに。

 「その代わり、必ずずっと誰かが一緒にいるようにして、手を握っていてあげて下さいね。」

 患者さんはその3日後に亡くなられた。

 F原さんは、その他にもそう経験をいくつも持っていらして、根っからそういうタイプの看護士さんなのだ。根本に無理の無い根っからの愛がある。

 患者さんは他の人には反応しなくても、F原さんが話し掛けると反応する。

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 僕は病院にいた時も間接部門の事務畑だったし、今では生死の問題がとびかう病院からは離れたけど、この世は全て『人と人』、F原さんのような人間に一歩でも近づけたらと思う。