2011年11月18日(金)

あらくれ、重量感

 今日U田さん宅での映画タイムに見たのは成瀬巳喜男監督、高峰秀子主演の「あらくれ」。

 見応えのある映画だった。

 この頃の映画って、何がどう?と言われれば、一庶民の人生の有り様を描いているだけの私小説的なものなのだが、何故か引き込まれてしまう。一庶民の人生を見つめる眼に繊細で強靭な観察眼があり、それを描くに当たって、冷たいくらいの冷静さの根底に実は人間というものに対する大きな愛がある・・、そんなことが原因なんじゃなかろうか。

 最近になって気がついたニブサが恥ずかしいのだが、昔の映画の原作は小説が多かった。最近の映画の原作はよく売れたコミックというものが多い。

 文字で何かを表現しようとする小説は現実を写実的に表現する傾向。

 絵と話し言葉で表現するコミックは写実よりは現実を超越できる自由度に魅力。みんな重い現実から解放されたがっているのだ。

 ここらに重量感の違いの原因があるのかも知れない。

 今の映画は今の映画で、逆に軽さに価値があるんだろうなぁ。

 でも、重さを出したいような映画でも何故か重みに欠けるのは何故?

 時代の風というようなものがあって、現代は世の中全体が軽くなってしまっているのかも知れない。軽い時代の中で重さを表現しても、全体が軽いから、重いものにもどこか軽さがつきまとう。

 重量感があればいいというものでもないが、戦前、戦後、高度成長に浮かれ出す前までの名作と言われる映画には、時代を超えて人を惹きつける力があるように感じる。