2011年11月22日(火)

怒涛の火曜日

 フエー、10月以来短大の授業だけでせい一杯の火曜日なのに今日はまたよく乗り切れたもんだ。

 朝一、沖津のO西さんと谷病院へ。病棟からレセコンに入力するために僕が用立てたノートパソコンの、端末機としての設定作業。大事なことはみんなO西さんがやるので、僕は谷病院サイドの人間として、IPアドレスがどうだとか、補助的な役割。

 作業は思いの外長引いて、短大に行く時間が近づいて僕は先に谷病院を退出することになった。

 病院にまつわる法律の話・・という僕にとっては苦手領域が今日の授業なんだけど、そんな時に直前まで別のことをしていていいんだろうか・・というのが今日の心配事項だった。でも、何故か無事終了。

 で、そのあと、明日本番の内山時江モダンバレエ研究所の発表会の仕込みに行くことになるのだが、その前に我が家には義父危篤の電話が入っていた。

 女房はすぐに病院に行ったが僕は後ろ髪ひかれながら、舞台へ。今度の土日に入っている愛媛での舞台仕事はまだ本決まりの連絡をもらっていなかったのでキャンセルさせてもらったが、今日明日の舞台仕事は穴を空けるわけにはいかない。

 じいちゃん、なんとか乗り切ってちょうだい。できれば、そのまま快方に向かってこれまで以上に元気にもどって欲しい。最悪、今日明日は生きていてくれ。

 いろんな思いが交叉しながらのリハと仕込み作業になったが、10時近くまで携帯は鳴らない。

 不死身のじいちゃん、蘇ったナ・・

 予想は当たって、じいちゃんは危機を脱していた。

 ホッ・・・

 なーんか、目まぐるしい一日だったなぁ・・