2013年1月22日(火)
電子カルテ体験の新規授業、今日も朝早くから出で、準備及び本番と相成れど、サーバーなる機械の不具合にて、断続的進行と相成りき。
かくなる上は、来週の授業に全てをゆだねんと思えど、そのためには、幾たびかの短大訪問を余儀なくとせん。
願わくば、大いなる天の加護のあらんことを・・
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というのが、「医療文書実務」なる授業の結果。その次の「医療秘書総論」ではまた別の展開。
今の授業の進め方はただ教壇から僕がしゃべるんじゃなくて、僕が用意した課題をネットで調べてもらい後で答え合わせをする段階で尾ひれ葉ひれを伝えることにしている。
その「自由に調べて答えを探す」時間に、全く乗って来ないというか、やる気があるのかないのか、おしゃべりしたりネットで別物を探したりしている固まりがあるんだけど、今日はその辺りに「やる気あるの?」と出かけていったら、自分の望む進路と授業との関連みたいな疑問をもらって、しばし本音トークをすることに。
別に資格が全てじゃないんだよ。気の利く準看の方が気の利かない正看より役に立つってこともあるし、ぼくなんか何にも資格を取ってないけど、力有るしね(なんて勝手な発言)。
でも、こういう本音トークって大事みたい。
授業の締めの答え合わせの時、今までで一番くらいに全体が静かで、僕の声に耳を傾けてもらえた感じ。
アララ、50人超がこんなに静かになることもあるんだ。
言われるままに真面目にやる人をほっといて、やる気なさげな子たちとの会話に時間を使ったのは先生らしからぬ行動だったかも知れないけど、その結果がこの教室全体の一体感につながったのは新しい発見だった。
「先生、なんでそんなにやさしいが?」と聞かれて、僕にはそれなりの答えがあったのだが、次の質問が出て来てその答えは言わないまま。
僕はこれからいろいろ頑張らざるを得ない若者たちが好きだし、ある面気の毒だとも思っている。せちがらいこの世でまだタップリ生きないといけない。
そして、残された時間が少なくなって行く年齢の自分としては、喜怒哀楽の中の怒・哀あたりに浸る時間はもったいない時間の使い方だと思っている。「哀」あたりはセンチメンタルを味わうという余地もあるが、「怒」は自分の心が欠けていくだけのことで、何の価値もない。自分の価値が下がるだけのこと。
だから、一見不真面目な生徒にも本気で「怒」することはない。一見やさしいけれど、ホントは自分の時間を大事にしているだけ。
見た目のやさしさを信じちゃいけないよ。
確かに僕はやさしいけれど、見てる目は冷徹だよ・・。
でも、根本はみんなが好きだから、結果的には甘々にやさしいのかも・・
アーララ、僕もはっきりしてないや・・(^_^;)