2013年5月13日(月)

さようなら、先生

 あまりにも唐突なお知らせになるかも知れません。

 2007年9月から金曜日の日記にはかなりの量登場して頂いたU田先生が、先週亡くなられました。

 5月初め辺りから日記が空白なのは先生を見送る最後の日々を公開する気になれなかったからです。

 そして、このご報告の日記を書けるようになったのは5月20日、まだまだ気持ちに余裕がありません。

 医者にかかるのは絶対イヤ、入院なんてさらにイヤ。そんな先生が1月に脱水症状を起こして寝込んでいるのをご近所の方が見つけて下さってからずっと、先生と気が合うNさんと僕で、毎日誰も来ない日は1日たりとも無いようにと先生を訪問していました。

 誰も来ない日は1日たりとも・・と言うと交代で訪問することになりますが、たった一人でお住まいでしかも体調をくずされた88歳の方の安否確認が1日に1回だけなのはあまりにも心細く、結局はほとんど毎日訪問していました。大道具で行けない時は女房に行ってもらい、疲労困憊でどうしても行けなかったのが1日、その3日を除いて毎日お伺いしました。もちろん僕が行けなかった日、Nさんは行ってくれてます。

 一時は、霞を食べて生きているんじゃないかと思うほど少食だった先生がこわいくらいものを食べられて、食べる量を加減するくらいにお元気になっていたのに・・。2階から1階におりて、ドアを開けてくれるようにもなっていたのに・・。4月の下旬からだんだん元の少食に戻り、そのうち何も食べなくなって・・

 勝負するつもりでお医者さんの往診を受けることを承諾していただきましたが、熱もなく、むくみもなく、痛いところもなく、食を受け付けない。どこが悪いというのではなく、バランス良く年を取ってたどりついた完全な老衰という診断でした。点滴をすれば日は延びるかも知れないが、苦しい最後の日々を付け加えることになるかも知れない。ましてや、ご本人が望んでいないから、このままご自宅で経過を診るのが最善だと思われる・・。

 先生はご自分のことが全部分かっていたようです。僕が強く言って妥協していただいたお医者さんに診ていただくということ以外は全て先生の思い通りになりました。最後まで強靭な思いの人。

 先生の最後の声を聞いたのは僕になりました。それまでの数日間、ほとんどのことはうなずくか首をふるかで意思表示されていた先生が、金曜日に僕が帰る時、声を出して「ありが(とうございました)」と、声と口の動きで挨拶をして下さいました。

 声が出たので、これをきっかけに回復してくれるのか、それともこれが最後の言葉なのかと二つの思いが同時に浮かんだのですが、結果としては後の方になってしまいました。

 そして、今日、13日は先生のお葬式でした。

 1月には、医療や介護に関連する人や団体様にも相談して心の支えを頂きありがとうございました。

 金曜日はU田さんの日・・。その日を選んで先生は僕に最後の挨拶をしてくださったのかも知れません。

 戦争、映画、オーディオ、医療、旅行・・、沢山のことを教えて頂いて、沢山の笑顔を頂いて、先生、本当にありがとうございました。

 今生は無理だとしても、またいつかどこかで会えますよネ・・。

 さようなら、先生。