2013年6月 7日(金)

前里、T中さん

 昨日、照明のT中さんのお母様から電話を頂いた。で、今日は午後3時過ぎにT中さんのお宅へ。

 パソコンが再起動を繰りかえすという、聞いていた症状が出ないので、データやらレジストリやら、パソコン内の大掃除をしながら不具合の出現を待つ。

 本来の僕を呼んでいただいた症状は最後まで出なかった。

 でも、起動や、起動後の動きが早くなったと喜んで頂いた。

 「宮城さん、お店を出したら今よりもっと繁盛するでしょうに・・。」

 僕もそう思う。最近はその確信めいたものが出て来ている。

 T中さんが何かで儲けたら、一番に出資して頂く約束を頂いた(^^)v

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 金曜日はU田さんの日。今日はまた、別の偲ぶ会・・

 先生からはご親族のことはあまり聞いたことがなかったのだが、先生が病院を開設されてから診療を止めるまでずっと勤めておられた看護師さんから電話を頂いた。この方のお名前はこれまでも聞いたことがあって、先生を知るものとして一度お会いしたいと思っていた。そして、このN越さんとおっしゃる方と一緒にいらしたのは僕が知らなかった先生のご親族。

 この5年半に及ぶ僕と先生のおつきあいのエピソード、僕が知らないそれ以前の先生のご様子などをお聞きして、今日の出会いは先生を偲ぶ会となった。

 「こうしてお話しを伺うと、叔父は最後の日々は幸せだったんですネ。」

 「孤独な最後にはしなかったということだけが僕たちの慰めになってるような気がします。」

 ちょっと要約し過ぎかも知れない。

 先生、タップリと余韻を残していってるなぁ・・・

 天涯孤独みたいなこと言って、先生、実は沢山の人に慕われてたんだ。