2014年10月19日(日)

 T内さん宅、再び

 未だに亡くなったことを受け入れたくないT内さん。

 今日は、彼が開発していたソフトの作業フォルダ探しの日。

 有り難いことにT内さんが開発していたソフトを解析して今後も活かしてくれる関与先が出来た。それを進めるには、T内さんが使っていたパソコンから開発していたソフトのデータを探して先方に渡さないといけない。

 3時間仕事だっただろうか・・

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 「今日は空がきれいだとか、あぁ今日は風が気持ちいいとか、感じることある?」

 「まだ無理だわ。そんな気持ちになれない。」

 「そうだろうね。僕でさえT内さんがアッチに行ったのに、なんで僕はコッチにいるんだろうって不思議でしようが無くなることがあるもんネ。」

 奥さんは僕の元同僚でもあるので、こんな会話が出来る。

 これまでも逝って欲しくない人が何人も逝ってしまって、純粋に空の青さや風の気持ちよさをまっすぐ感じられなくなってしまっている。

 空は青くて素敵だし、頬を過ぎてゆく風は季節の変化を教えてくれて、それはとても素敵なことなのに、これを感じることが出来なくなった人たちのことを思うと、今の自分が申し訳ない存在のように感じてしまう。

 今後はそんな気持ちを含めて、空や風を感じるしかないのだ。

 いっそ、自分が空や風になってしまえば問題は消失するんだろうけど、それは自然の成り行きにまかせることに決めている。

 センチメンタルじゃ済まない喪失感。

 生きてくって大変だ。

 でも、生きてる内は生きようと思う。

 もっと鈍くならなくちゃダメだネ。

 若い時はもっと上手に鈍かったなぁ・・・