2017年8月30日(水)

80日間世界一周

 アイラブストーンさんから帰って来て、さて、昨日の続きをやろうか、それとも・・

 少し頭を休めた方がいいよなぁ。

 NHKBSで録り貯めた映画の中から、半分くらいまで見てる「80日間世界一周」を最後まで見た。

 ジューヌベルヌの小説「80日間世界一周」は若い時に読んだことがあるんだけど、記憶に残っているのはサーバントが寝溜め食い溜めが出来るような強靭な人間で、アルプスの山頂に気球がぶつかりそうになった時にふいに姿が見えなくなったと思ったら、気球の下にぶらさがりながら(というか、抱えながら?)山頂を蹴走って危機を脱したとか、地球を東回りに一周し、日付変更線を超えるたびに現地時間で日付と時間を計算していたために、80日で一周出来なかったと落胆していたら、実はロンドンに帰り着いたのは1日前で、そのことに気が付いた当日、ギリギリで間に合ったとか、その2点だけ。その記憶すらかなりあやしい。

 映画の「80日間世界一周」は壮大な作りととぼけたユーモアが、同居したなんとも味のある作りだった。

 それがなんと1956年に作られたものなんだよねぇ。

 1956年と言えば僕はまだ1歳の時。ものごころついた、それよりもっと後の時代でもまだまだ井戸で水を組んだり、家の中に囲炉裏があったこともある。テレビもなくて、ラジオがかもいの上に鎮座していたような記憶もある。

 その時点で、これだけ気が利いたユーモアにあふれた映画が作られていたとは・・

 ユーモアの感覚などは、映画なるものが登場する前から国民的センスとしてすでにあっただろうし、映画の前には劇場での芝居という文化が十分に発達していたわけだから、なにも驚くことでもないだろうに、どこか感慨めいたものがある。

 世界一周という形の中で出て来るスペイン、インドや日本の様子、アメリカのインディアンの襲来など、コメディタッチだし、異国への誤解(アメリカは別として)もあるだろうけれど、今となってはそれなりに、過去の空気も含めた風物詩にもなっていて・・。

 作られたのは1956年だけど、話の舞台は1800年代の話で、日本人はちょんまげ姿で出て来る。

 映画の場面場面で有名人もさりげなく配置されていて、アメリカのバーでホンキートンクピアノを弾いていた男性がすごく男前で「きっと、この人有名人だよな」と思っていたら、それは若き日のフランクシナトラだった。

 それも、話の筋にからむというのではなく、演奏中はずっと後ろ姿で背景に映っているだけで、曲を弾き終えて振り向きニヤリと笑っているショットがオトコマエーというようなさりげなさ。

 長い映画で、終盤3分の2くらいの時間に「Intermission」と表示され、1分の休憩時間もあったり。これも風情だねぇ。

 まぁ、こういうのも見てみるもんだ。仕事ばっかりしてちゃイカンゾ!! 

 という、感想文の締めとあいなった。