2019年5月27日(月)

風の島、沖縄

沖縄に何度も来ている兄は観光的感覚もあって、今日からの宿は恩納村のホテルに2泊用意している。従って今日は北部方向の観光予定だったのだが、僕の「お墓があるならお墓にも行ってみたい」のわがままで、急遽南部に行くことに。
「平和のいしじは行っといたらいいと思いますヨ」
S善さんの奥さまの昨日のアドバイスでまずはそちらへ。戦没者の各県ごとの慰霊碑がある、それはそれは大きな公園。海が見えて、昨日一番の驚きだったあの気持ちいい風が常時吹き続けている。
この風には兄も同じ思いを持ったよう。
「この風がすごいなぁ。常にこういう風が吹いているなぁ。」
今まで沖縄に関するそういうキャッチフレーズを聞いたことがないけど、「沖縄は風の島」とか」「風の島、沖縄」なんて言い方はないんだろうか??

そしてその次に行ったのは沖縄ワールド。
エイサーがよかった。
上演中は撮影禁止だったけど、そのあとに撮影タイムもあったのに、撮りそびれちゃった。応援するつもりで彼らのDVDも買おうと思ったのに、それも買い損ねた(-_-)

今回10年以上ぶりに会った兄は歩き方がどこかヨチヨチしていて、腰を痛めてる僕もちょっと驚いた。聞けば、先日福岡のどこかのデパートで転倒して痛い思いをし、その後遺症が今もあるらしい。兄弟して、似たような時に似たようなことになっている。そんな調子だから、観光地で歩いていると疲れ方が早くて、平和のいしじでも、座れる場所があると長いこと座って話をしたり・・。それでも、スマホで写真を撮ったりすることは忘れていなかったけど、沖縄ワールドではそういう思考力が鈍っていた(-_-)

この兄弟の共通性、以前福岡の兄の家に行った時、僕と同じビデオが兄の本棚に何本も並んでいたのには驚いたもの。

今回はいとこのS善さんにもそれを感じることに。
昨日の移動、今日のお墓に行く時の移動もS善さんのお世話になったのだが、当然車中ではいろいろな会話をする。昨日の親戚の集まりでS善さんがお孫さんの名前を「あれ、誰だったっけ?」みたいな発言があったのだが、それって僕も心当たりがある。子供の誕生日だとか、孫の名前だとかとても記憶が怪しい。それって、自分に愛情が足りないんじゃないかと思うこともあったのだが、S善さんは「それが普通だと思ってた」とサラリ。
なんだこれ、血筋なんだ。回りにそういう人がいないから自分がおかしいんじゃないかと思うだけで、こりゃあ血筋だわ。

それと、早起きして4時、5時から何か始めるという点。S善さんもそうだし、亡きS周叔父さんもそうだったそうな。

与那原のS幸おじさんと一緒にお墓に行った。
沖縄独特の大きなお墓。宮城家のお墓は60坪もあるんだそうな。
アメリカの艦砲射撃を受けた時には近所の人はその中に逃げたとか、S善さんが子供のころはそこらに残っている火薬を集めて燃やすのが遊びだったそうな・・・

日が暮れる前にお墓に行った後はおじさんS善さんと別れて恩納村へ。

恩納村でも宿は別。まずは兄たちがホテルのチェックインを済まし、次に僕が手配した宿に送ってくれる。ここでも、兄たちのホテルはデラックス。

でも、今度は僕の方も別の形でいい感じ。元々はアパートだったと思われる作りの僕の宿は、2部屋プラス台所に浴室という広い空間。

チェックインは8時までだが遅れそうなので事前連絡するとフロントのおじさんは気持ちよく対応してくれた。

9時に宿についてフロントに声をかける。

「地元の方ですか?」(名字が宮城だからだね)
「いいえ、両親が沖縄で、今回やっと僕もこちらに来れたんです。」
「そうですか、よかったですねぇ。私たちも何かお手伝いできるなら言ってください。」

おう、これが沖縄の人情か・・・。

「なにか困ったことがあったら、私たちがいなくても、こちらに電話をしたら24時間、転送で連絡がとれますから」

ますますありがたし!!

ここでもいい風が吹いていた。風が吹いていない時がないほどだ。
沖縄は風の島・・・。