2020年9月 7日(月)

捨てる?「活かす」を粘る?

 きのうY村先生のお宅から帰ったあと、ノートパソコンVersaproのCMOS電池の交換に取り掛かった。

 CR2032のようなボタン電池が着いているのやら、充電タイプの二次電池がついているのやら、分解前にインターネットで情報を探すのだが、どうにも出て来ない。

 慎重すぎるといつまでも前に進めないので、分解作業に入る。

 マザーボードを外すところまで分解しないと電池に行きつけなかった。たかが電池交換でここまで分解せんといかんの?

 外資系やマイナー系の国産ノート(昔はコチラが手が届かない高嶺の花っぽかった)は簡単にこのボタン電池に行きつけたのだが、国産メジャーのNECや富士通機は一般人にパソコンの中まで立ち入って欲しくないのか、徹底分解しないとボタン電池やハードディスクに行きつけないものがある。

 昨日の場合は、マザーボードを外すところまでやり、ボタン電池に行きついたら高知では入手が難しい充電タイプの電池で、そこからネットでの購入のための検索をやって、そのあとのことは電池が届いてからじゃないとやりようがなくて作業中断。電池が着くころに組戻しのための分解手順の記憶があるのやら・・・

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 ユックリ楽しんでやるつもりだったんだけどネー。上に書いたような手間で手がかかり過ぎて、今日はちょっとダウン気味。

 ちゃんと頭が動き出したのは午後イチぐらいだろうか・・・

 見るだけ見て処分するしかないと判定したものを段ボールに詰めて処理業者さんに送る準備。

 できれば生かせるものは生かして誰かに渡し、無理なものは資源として活用してもらって、ゆくゆく我が部屋は液晶プロジェクターで映画鑑賞できるくらいにスッキリさせたい。

 処分してスッキリさせても、次の処分対象パソコンが来たりして、スッキリが実現するのは何十年後か分からないけど、結構早めに僕はそれを実現しそうな気もする。

 「断捨離」と「ものを大切にする」精神は、どこか相容れないところがあって、バランスが難しい。

 個人的なものは断捨離。

 本業に関するものはもったいない精神。

 と思っているのだが、「もったいない」の方がどんどん集まって来るんだよネ。