「人間は心の動物」
6月14日転院したその日から排便が劇的に良くなった。家にいる時も手術をしたあとも5日に1回くらいで、それもスッキリ感が無くてお腹は膨満感で気持ち悪い。それが転院当日から・・
なんとなくあれが原因だと思う瞬間があった。ある看護師さんが寝際の巡回時に「3日出ないだけでも大変なのに。先生に下剤の使用も相談してみます。」その時のほんとに気の毒そうな話し方に僕は「あぁ、この人ほんとにそう思ってくれてる」と思った。そして「もう僕、大丈夫なんじゃないか?」とも・・・
ナースコールで看護師さんに来てもらうことを気兼ねしたり、トイレが済むまで外で待ってることを気にしたり、呼び出し音を鳴らせばほかの人でもすぐに迎えに来るようになってるからとほっといてくれても、別の患者さんがドアをノックして来たり、ここにはそれがない。
途端にその日から今までにないほどの快便が1週間続いている。処方されている薬は同じ酸化マグネシウムなのにこの違い。
人間は心の動物。医療的に言えば交感神経副交感神経のバランスがひとつ整ったってことなのかもしれない。

あちらまで小声に・・
6月26日、三律さん。リモートでお仕事手伝い。同室の方への迷惑を考えると声が小さくなる。そうすると電話の向こうのT内さんまで小声になってやりにくいこと。いいたいことが伝わって来んゾー!!あんたはいいから大きな声でしゃべってくれー!!1時間で作業完了。さすがに疲れた。

少し進歩
6月27日(月)リハビリで、両手フリーで平行棒の間を3往復。初めての腕力に頼らない歩き方。転倒防止のためリハビリのY田さんの手はすぐに介助できるように腰のあたりに添えられているが歩けたのには自分でもびっくり。

6/27 14:30要介護度認定の聞き取りの方が来られた。認定結果が出るのはこれからひと月とのこと。
腰の筋肉を引っ張った?

6月28日夜、毎食後に飲んでいる薬を整理しているときに昼食後の1包がハラリと床に落ちた。椅子に座ったままかがんで拾おうとしたら腰の筋肉を引っ張ったような感触。筋肉の弾性が無くて鈍い「引っ張った」感。夜間帯にできるのは寝るときに聞き取りに来る看護師さんとの会話のみ。
今日はあれこれやらずにひたすら寝て朝を待つことにした。
6月29日
翌日、リハビリの魔法使いY田さんに経緯を話すといい判断基準をくれた。
〇 これまでと違う大きな痺れがある
〇 極度にその場所が痛い
〇 それこそ動けない
「宮城さんの今日の動きを見ているとそのどれでもないから大丈夫ですよ」とマッサージをしておいて容赦ないリハビリ運動。リハビリで僕を担当しているY田さんもO野さんもこの病院では「鬼」と言われているサド気質なんだそうだが、鍛え方、説明が的確で、その結果が目に見えるようなので僕には「天使」か「魔法使い」に見える。存在そのものが天使、言われたとおりにやって成果が見えた時には魔法使い、要求の高いリハビリでこっちが必死な時は「魔女」に見えて来る。
「このお!!魔女め!」とむきになってやっていると相手の思うツボ。しんどいけどリハビリが一歩進んでいる。
「宮城さん、違いますよ。魔女じゃなくて魔法使いですから。O野さんが「魔法使いサリー」なら私は「ひみつのあっこちゃんということで・・」
主導権はアチラにあり。
ちなみにアンパンマンで言うと、Y田さんはカレーパンマンパンチ。O野さんはメロメロ~パ~ンチってところか・・。タイプは違えど二人ともサドらしい。
サドヶ島の鬼・・・。

欲しいものが変わる
最初は車椅子を買おうかと思っていた。
その次は歩行器。
今はリハビリ用の平行棒。
「宮城さん、退院するころには平行棒もいらなくなってると思いますヨ。どうかしたら布団干しになってしまうかも知れないですよ。」
メロメロパンチのO野さん。
家に帰ってからも自主的にリハビリするなら平行棒はあったらいいと思うが、なにか別のものを代替えにできるかもしれない。もしかして布団干しを工夫して平行棒代わりに使うとか・・・

代打
仕事仲間の野崎さんに僕が動けない間の代打をお願いした。昨日も1件、今日も1件。お客さんの役に立てない件数が増えて行くのはつらいし、お客様も大変だ。
今日のH岡さんからの依頼はそれでなんとか道をつなぐことが出来た。

飲まずに直る別の薬
また便秘がぶり返した。きっかけは先日腰の筋肉を引っ張った時から。といっても2日連続ぐらいで前に比べれば全然軽傷なのだが、快便を知った身にはまたこれが続いたらいやだという気持ちが・・・
ちょうど主治医が来られたのでそのことを話すと、漢方薬を処方してくださった。
すると・・!その漢方薬を飲む前に便意復活。結局飲まずに快便が蘇った。
分からんものだ。

日光浴
7月1日
月が替わった。
「宮城さん来たばかりと随分変わりましたよ。」
僕も感覚が鈍って、地面に置くように歩を進めていた左足に重心や床の抵抗や自分の重みを感じ始めたのが今日のこと。まだまだ頼りないのだが、プロがそう言ってくれるとホントに希望が持てる。
夕方1か所だけ陽が射して暖かいところで1時間くらい日光浴をした。正常な人にはとんでもなく暑いらしいのだが僕にはちょうど。みんないやがる時間帯みたいだからその時間は僕が利用させてもらおう。

通りすがりの一言
7月2日(土)
「まぁバランスよく上手に歩きゆうねぇ。もう歩行器もいらんみたいな。」
今日は土曜日でリハビリは半日。午後になって時間を持て余してやり出した自主練習。
まだ一人での杖歩行は許されていないので歩行器で廊下を往復していたら通りすがりの看護師さんがそう言ってくれた。
こういう一言がどれだけ患者の力になることか。

台風が近づいているそうで、今日は昨日見つけた日光浴スペースに太陽の陽が射すことはなかった。あたたかくして寝なくては・・。

7月3日(日)
日曜日。長い1日になるなあ・・・
やりたいことがドッサリある僕にとって自分のテリトリーじゃない場所でのこういう状態は非常に困る。身も心も腐っちゃうよ~
30分自主練をしては30分休憩しその間に食事などが入れば少しはましになるだろうか。その間に時間ロスもあるだろうしなんとか1日が埋まったらいい。
歩行器で歩いていると昨日以上に左足に感覚がある。試しにスクワットをやると右左同様に力が入る。それなのに歩くときに左足に力が入りにくいのは何故。
もも上げをすると右はそこそこ楽に上がるのに左は無力感でいっぱい。スクワットはふともも、足の持ち上げは腸腰筋?力の入らない部分を意識をしてもも上げをやると左足もだいぶ上がり始めた。素人考えで間違った動き方を覚えてもいけないから、夕方で今日の自主練は終わりにする。
そのあとは壊れた方のスマホのTV機能を利用して二番組ほどテレビ視聴。それとスマホアプリのSpotifyで音楽を聴いて過ごす。まだまだ夜は長いが入院生活を始めて以来初めての安定した過ごし方だったかもしれない。


7月4日(月)深夜に左足がつりかけた。気持ちを落ち着けて足の力を抜きなんとかつらずに済んだ。自重したつもりではあったが、少々やりすぎだったかもしれない。

朝9時にY田さんがベッドサイドにリハビリのお迎えに来た。
深夜の足つり事件などを話しながらリハビリの場所へ。その間、移動は杖。
つりはしなかったが左足には昨日と一昨日の自主練の余韻の痛みもあって、杖で歩けるか心配だったのに、壁際を伝わずにいきなり廊下の真ん中を右手の杖だけで歩いている。しかも話をしながら!まさかこんなに歩けるとは!!やっぱ、この人たち魔法使い??

おととい・昨日とやった自主練は方法、考え方ともに問題ないとのこと。ただ、1週間に1日は筋肉を休ませてやらないと筋肉が回復する間がなくなるという意味では休養が不足とのこと。僕が一番苦手なやつ・・・

今日はリハビリ以外の時間は休養日にしてなるべくゴロゴロするようにし、リハビリ以外の時間も、歩行器なしの杖だけの移動にするのは明日からにしましょうとのこと。

ゴロゴロした結果としてベッドから起き上がる時など腰の筋肉痛が朝よりひどい。これも筋肉回復に至る一つの通り道なのか。腰の辺りを軽く回したり押したりしたけどこれはゴロゴロの範囲内だと思う。

7月5日 夜中に何度も目が覚めた。起き上がったり寝そべるたびに例の筋肉痛を感じる。5回くらいそれがあって、最後の朝方あたりから痛みがほとんど無くなった。おそるべし、魔女の指示。
しかし、今日のリハビリはきつかった。おかげで僕の一番弱っている場所が左足のどのあたりかもう少しつっこんで分かった気がした。
力が入らない。入れたつもりでもとても力が入っているとは思えない。しかもちょっとの動かしで終わるとくたくた。
片足立ちが右も左も5秒もったので上等だと魔女Y田さんは評価してくれたけど・・・

面白そうな人たち
今日お風呂に入れてくれたK川さん。この病院では介護師という立場だが他にも違う顔を持っている。吾北の勝賀瀬地区で県外からの移住者の方にうなぎ釣りのやり方を教えたのがきっかけで、今は武道も教えているとのこと。基本的にやらない内からNoは言わないことにしていて、そこからいろんなことが広がって行く。アララ、なんか僕と同じタイプだ。その慣れの果てが今の僕だから無理はしすぎないでネー
魔女Y田嬢はこのK川さんをとても尊敬しているらしく、K川さんと話すときは日頃のサドっぽさも消え、しおらしくなるらしい。
お名前をまだ覚えきれてないけど、他にもユニークな介護師さんがいて、高知ケーブルTVのアナウンサーの片さんによく似た人。ジムで鍛えたいい体の若い介護師さん。
みなさんが患者を半人前扱いせずにごく普通の会話をしてホッとさせてくれる。

O西さん。電話で解決。

台風一過
7月6日(水)昨日のリハビリの疲れを睡眠でとり切れなかったのか、今日は左足の上がりが悪い。こういう時にあがくのが今までの僕だけど体を休めることも大事だと学習したので、今日は自主練を自粛した。台風が大きなことにならず、夕方には弱い陽射しながら少々の日光浴もできたのが良かったかな。

7月7日(木)昨日から今朝にかけての深夜、目が覚めたのが1回だけだった。朝4時にも目が覚めたが頻尿で起きたのではなく寝が足り過ぎて目覚めた感じでトイレを急ぐでもなくそのまま起きたのでこれはカウントしなくてもいいだろう。
〇 寒さ対策にインナーを着たのが良かった?
〇 わずかながら昨日の夕方日光浴を出来たのがよかった?
〇 腰と首に湿布を貼ったのはどうだろう?
〇 夕方から夕食までのあいだ、電動ベッドで足を高くして横になったのは?
最後の方法はNHKの「ガッテン!!」の夜間頻尿の回にやっていたもの。
どれがどう良かったのか分からないがいつもこうだと助かるナ・・・。
午後、病院内での不在者投票を体験

7月8日 夜中に起きる件、せっかく1回になっていたのに、昨日から今日にかけては何度も目が覚めた。ア~ア・・・
朝イチ、昨日完成直前でわざとおいておいた「お通じ記録」なるエクセルファイルを仕上げた。このわざと仕上げを先延ばしにする方法はなかなか役に立つ。そのまま頑張れば感じる苦労感がとても軽くなり、それと一緒に新しい改善点なども浮かんでくる。
別に頼まれたわけではなく自分がこういうものがあったらいいなあと思うものを作って、もしそれが自分のためにも役に立つと思う人がいたら「どうぞご自由に」の気持ちで作っている。入院生活はインプットばかりでアウトプットが少ない。そのバランスが悪いとつらいんだワ。
昼、今西さんから電話。スマホなどは問題ないのにパソコンだけ無線がつながらない。 完全シャットダウンで一発解決。これは気持ちよかった。

7月9日、今日は土曜日なのとサディスティックな「アッコちゃん」がお休みで、リハビリは魔法使いサリーのO野さんの上半身特に腕のケアが中心。今回は土曜・日曜と自主練の時にこれをやってくださいと、棒に重しを巻き付けたダンベル(?)を貸してくれた。僕は早く治りたいのとやったことに対する手応えを感じたい欲が強いためついついやりすぎて別の痛い場所を作ってしまう傾向があるので「くれぐれもやり過ぎないように」の注意付き宿題。「アッコちゃん」からは土曜・日曜のどちらかの半日を筋肉回復のための時間にするように・・という宿題ももらっている。足腰は休養、上半身は鍛えるって考え方でもいいのかな?

時の経過が必要なことがあれこれ・・
主治医の先生が見えたので質問
Q 肩の一点に感じるピンポイント的な痛みは?
A 首の手術は左右の僧帽筋に影響することがある。日の経過とともに完全とは言えないが改善する可能性
Q 手術創とその付近のかゆみ
A 手術からまだ2か月。人間の体は3か月で細胞が入れ替わる。いろんなことがある程度
落ち着くのはお盆あたりか・・。(確かにかゆみは最近減っている)
Q 左手のしびれは手術前より強い。前ネットで調べたときにこの手術でそういう傾向があ
るという学生相手の教科書的なPDFファイルを見たことがあるが・・
A そういうことも今後の経過を見ないと・・
Q 体温調節がまずいみたいですごい寒がりになっている
A 腰の場合は少ないが首の神経の損傷ではそういうことがままある。これも完全とは言わないが時の経過とともに改善すると思う

要するに2か月程度であれこれ心配するのは早過ぎるってことなんだろうなぁ。
しびれは?お通じは?体温は?背中のかゆみは?
毎日聞いてくれるのに合わせてこちらまで結果を急ぎすぎたらいかんのだろうな。

7月10日(日) 今日はやけに静かな1日だった。
ここにはWiFiがない。スマホのテザリングでネットにつなぎメールチェックするとすぐにデータ通信量を使いつくすので、不要なメールマガジンの購読停止を大量にやった。
そして、もうスマホを壊したりしたくないので保護用のスマホケースも注文。
大分、家にいた時のような効率で物事を片付け始めた感じ。

リハビリの自主トレは寝転んでのベンチプレス的ものは負荷が少ないので結構やったが、杖歩行は腰の筋肉痛ゆえに歩きが不安定で転倒が怖いのでベッドサイドだけのものになって、こんなものでいいのだろうか?の思いも。
「痛い」っていうのは悪いところを知らせるシグナルという言い方もあるが、リハビリはその痛みを乗り越える作業という面もあるのでその頑張りと休養のバランスがまだ分からんのネ。これもここにいる時だけじゃなくて帰宅後の毎日という長い目でみないといけないんだろうな。
鬼の攪乱
7月11日(月)病院が休みじゃない時は毎日9時に魔女のY田さんが「チース!」みたいなノリでやって来る。彼女は決して「チース!」なんて言わないしちゃんと「おはようございます。宮城さ~ん!」と呼びに来るのだが元気で明るくてその雰囲気に「チース!」的なニュアンスがあるわけ。
ところが今日は9時になってもそのY田さんがやって来ない。
リハビリをやる人の順番が変わった?
それならそれで声は聞こえて来そうなものだが、どこか静か。
お子さんが熱を出したりしたかな・・?
30分くらいして別のリハビリの方が来て、今日はY田さんの具合が悪くて、リハビリは午後のO野さんの部のみになると伝えに来てくれた。
アララ、お子さんが・・じゃなくてY田さん本人が、具合が悪くなることもあるんだ!!
まさに鬼の攪乱か。
やれサドだ、やれ鬼だと言っているけど実は待ち焦がれていたのだ。この2日間の筋肉の休養や自主練のこと。自主練はムキになり過ぎないようにやったのにまだ残っている腰の辺りの疲労感。こういうことが、彼女がいると分かり易い説明とマッサージで解消し、さらにきつい運動をすることになる。そこが彼女のサドたる所以なのだが、それでもいてくれると安心なのだ。
午後のO野さんは「彼女本人が調子が悪くて休むというのはほんとに珍しいんですよ。その分私が頑張らなくちゃと思ってますので。」
O野さんはO野さんのやり方でしっかり鍛えてくれた。
いいコンビだ。

7月12日(火)
朝9時前、今日もY田さんの気配がない。O野さんがやって来て言うには
「Y田は検査を受けないといけなくなりまして・・」
体の調子が悪くて熱でも出ていれば今のコロナ禍の下ではそうなる。そして陰性陽性の結果が出るまでは仕事を休まざるを得ない。
どんなに大切な用事があっても外泊はおろか家族との面会もままならず。
もしかして、コロナに感染した以上に外部との接触を禁じられて不便を感じている別の病気・怪我の人のほうがはるかに多いんじゃなかろうか・・

7月13日(水)
Y田さんはやって来た。コロナ検査は陰性。
Y田さんにこの2日間の様子を報告。リハビリの台で僕の足を抱えたY田さんの一言。
「宮城さん、座ってばかりいたでしょう?足が重いです。」
足が随分とむくんでいるらしい。
ベッドから起き上がったりベッドに寝そべる時に腰の筋肉痛が痛むので確かに座ってばかりいた。痛い中自主練を頑張り過ぎるとかばう歩き方になるのでそれも自重していた。
「宮城さん、今日は自分の部屋にいる時は足を高く上げて寝転ぶというのをウンとやってください。それと杖がきつい時は歩行器でなら500メートルぐらい歩いても大丈夫です。その方が血行が良くなるし痛み成分も流れて行きますので。」
「それを早く言ってくれなくちゃ!!」
取り合えず早口で言い直してもらってよしとした。

相談員の方に気になっていたことを質問。
Q 国保限度額適用が7月31日で切れる。僕の場合難病指定の制度で計算されるから8月
以降の申請は不要?
A 万が一難病指定とは別のことで治療が必要な時には限度額適用が活きるので保険として取っておいた方がいいと思います。
Q 介護保険認定の方から「介護保険暫定受給者証」というのが家に来たらしいのだが(LINEの画像を見せる)これは何?
A 通常は介護認定の際、介護保険受給者証を預けてしまうので認定の結果が出るまでは受給者の手元にそれがない状態となる。それを補うためのものです。
Q まだここにいるであろう7月26日に前の病院の予約連絡が来ているらしいのだがそれはどうしたらいい?
A 何もしなくていいです。うちの院長が向こうの先生にも連絡してまだその時期は入院中だと伝えています。それが宮城さんにも伝わっているものと思っていました。具体的に退院の日付が決まったらこちらからアチラに連絡しますので。
スッキリした。

「あの葉っぱの最後の1枚が落ちたら僕の命ももう・・・」
午後のリハビリ、O野さんの部で裏山を見ながら僕の一言。
「宮城さん、そういうのやめてください。絶対ダメですよ。」
「それは突っ込み方が違う。裏の山の最後の一枚って、落ちるのを待ってたら1000年かかるよ。(壁のつたじゃないんだから)」
「アハハ、じゃあ仙人になりましょう。」
サドで鬼で魔女だけど、あのちょっと本気な「ダメですヨ」はやっぱり天使だった。オーノ、うれしいチヤ。

7月14日(木)今日はY田さんが本来自己都合で予定していたお休みの日。リハビリに空きができないように他の方を代理に用意してくれていた。その方には「これとこれは必ずメニューに入れるように」というY田メモが引き継がれていて、自分がいなくても僕を痛めつけるようになっている。オニ・・・。でも本音を言えばなにもしないよりちゃんとお相手してもらえる方がはるかにありがたい。今まで話したこともなかった金色のヘアークリップの方も新鮮だったし・・ みんな、天使だわ。
午後のO野さん、午前中はしっかり姿が見えていたのだが、いつもの2時半になっても迎えに来ない。その代わり、これまたO野さんから申し送りをされた別の理学療法士さんが後になって現れた。O野さんはお子さんの保育がコロナのせいで休園になり、その家族ということで来れないらしい。

主治医の先生が来られた。カルテを見ながら・・・
「足もだいぶいい方向になっているようですから、自信が出来て来たらそろそろ退院を考えてもいいと思いますヨ。」
夜間頻尿・肩に感じるピンポイントの鋭い痛み、腰をひねりやすいことについて質問。
「首の手術をすると肩に影響することもあります。首の神経は全身とつながっていますので排泄障害もあり得ますし、血液・栄養の滞りで腰を痛めやすいことも考えられます。」
要はこの前のQ&Aと同じでたった2か月ではまだ手術の結果が落ち着くのを待つ段階なのだ。手術してもらったのは別の病院だが、手術決断の前にこういうことを聞いてたらもっと別の留守対策もしただろうにねぇ。
今日から床頭台まで持って来てくれていたうがい歯磨きセットもなくなり自力で洗面室に行って歯を磨くようになったし、そろそろ病院としてミヤギは退院が近い人間扱いになっているようだ。
ここにいる時だけがリハビリじゃなくて今後の一生がリハビリだと思うようになっているし、それならあとひと月ここでゴロゴロしてるより(リハビリ2回と自主練、あとは何もしようがない)、やること満載、しかも手をつけるとわくわくするものがある自宅の方がいいはず。
仕事を再開したらミヤギ君・リハビリが一気に進みそうな気がするんだよネ。

夕方、三律さん。大手建設会社のTeams利用による説明参加願いの件で、リモートでお手伝い。僕の頭脳自体は手術前の「足腰はあやしいけど、パソコンの前に座ればなんとかなる」状態になっている。足にしびれはなくて痛みしかないので、これは筋肉をつけ、動かし方を矯正するにつけましになるだろう。その代わり手術前より増えた左手のしびれはこうやって文章入力も出来ているから、ホントもう退院を視野に入れて考えるべし!なんだろうな。谷病院もちょっと困りごとが増えてる様子なんだよな。

7月15日、今日の朝イチの看護師さんとの会話から「退院するとしたら月末ぐらいになるんだろうかねぇ」の一言がもう宮城さんは月末に退院希望という風に伝わっていて、Y田さんのメニューも実生活に近いことを意識したメニューが入りだした。
〇 階段を上ってみよう、降りてみよう
〇 ポータブルトイレもどけて尿瓶にしよう
〇 歯磨きはもう洗面台でできてますよネ
もちろん、退院希望日をしっかり伝えたのではないことも言ったけど、今回の早い展開は悪くない。リハビリメニューも分かって来たし、退院後自己リハビリのメニューも作ってくれるそうだし。
相談員さんに聞いたら介護認定は7月21日に発送されるとのこと。それが来たら包括支援センターの担当の方の名前が分かれば電話をかけたらいいし、分からなければこちらが間に入ってもいいとのこと。また退院日もこの病院では土曜日曜も関係なく出来るようになっているので気を使って平日を選ばなくてもいい。
オウ、すっきりした。
後はこちらの退院日のクルマの手配が出来ればOKだ。

谷病院の谷君とも連絡がとれ今後のことも話せた。

7月16日(土)
「今日も筋肉痛が来ますよ。でもそれは正しい痛みなので大丈夫ですから。」
リハビリを終えて病室に帰る時の付き添いでのY田さんのひと言。
退院という言葉が出てから、どんどん新しかったりきつかったりのリハビリが組み込まれだした。Y田さんとしては家に帰ってからの不便が少しでも少ないように、確かめておきたいこと、鍛えておきたいこと、体験させておきたいことがあるワケ。
今日は玄関前の階段を意識しての10cm、そして20cmの台を杖と脚力だけで上がる練習。Y田さんがまさかに備えて横にいてくれるからギリギリできたけど、これ素人の介助ではまだ間違いなくこける状態の気がする。だがしかし、メニューは進む。
次は病院の手摺付きの階段の踊り場までを2往復。これは我が家の1階から3階までを1往復したのと同じ距離。
「今日は話をしながら出来ましたネ。」
以前1度やったことがあってその時は非常にしんどかったのだが、今日は全然別の会話をしながら済んでいた。
「あと、やっておきたいのは坂を上ったり屋外の道を歩いたりすることが残ってるんで、宮城さん来週は晴れにしてくださいネ」
ということで、今日の午後は筋肉の回復狙いのゴロゴロの半日にしてくれとのこと。その時出たのが最初に書いたY田さんの言葉だ。
さぁ、また出るはずの正しい筋肉痛とやらは半日プラス今日の睡眠で解消するのかは定かではない。

この病院に来てからスマホで注文したスマホケースとヘッドフォンだけで聞くタイプのラジオが家に届き今日それを持って来てもらった。どちらもスマホを守るため。前の病院では壊れたスマホをなんとかするための連絡さえも一切できなくてとても不自由したので、もうスマホを壊すようなことはしたくない。ケースはそれこそ保護用、ラジオはラジオで済むことならスマホをベッドに持ち込まなくてもいいように。

職員さん全体が患者に目が向いていて居心地がいいところへこういう工夫も加わるとこのまま長いこと入院していてもいいかなぁ・・・、なんて思い始める今はホントに退院を考える時期なんだろうな。1日に2回、それぞれ1時間で合計2時間、それ以外は大事にされながら自主練や時間つぶしの日々、下手すると現実への復帰を怠けかねない。やること満載の我が基地に戻らなくては・・!リハビリは今後一生続くのだ。

7月17日(日)
昨日の上半身フリーでの階段乗り降りはホントにギリギリ以上、120%か130%の力を出した感じがあったのだが、それが夜の睡眠、今朝の目覚めに大きく表れていた気がする。
夜中に4~5回は起きていたのが2回。朝起き上がってみると確かにY田さんが言った別の痛みが残っている。そして、それは昨日の午後の筋肉休養タイムだけでは消えなかった感じ。さぁ、今日の自主練はどのくらいまで頑張ったものか・・

生協病院は高知市の北方向の山際、ちょっと高い場所にある。そこから高知市街地の半分くらいを見下ろすことが出来、あの雲の下は雨だな、そしてその雲が流れる方向に雨が降っている場所が移って行くのか・・というようなことが見える位置。車がたくさん走っている道路も離れた場所にあって、車の音が聞こえて来ないので休みの日はとても静か。僕がいる部屋は最初4人入っていたがお二人が先に退院されて今は二人だ。リハビリの部屋も今日は人がいなくて、静かなこと、この上なし。今週は月曜も祝日でこんな静かな日が2日も続く。気がついたら病院にいるのは僕一人になっていて他の誰もいないSFみたいな話になっているんじゃないかと錯覚する。
熱を測りに来た看護師さんにそのことを言うと「そんな面白い想像をするくらいなら大丈夫や」と笑われた。
フーム・・、そうかも知れない。

7月18日(月)海の日で今日も昨日と同じく静かな1日になるのか・・・
あさイチで気になっているのは昨日の夕方電話をいただいた寿限無さんのパソコン。正確にはそのお母さまのパソコンで、タスクマネージャーでHDDの使用率がずっと100%近くまで上がったっきりで動きが遅い。タスクマネージャーでスタートアップ他各項目を見てもらい考えられることをやるが効果が無い。こういう時は理由はともあれシステムの復元をやるのだが、アチラのパソコンが見えない状態で電話だけで指示をするのはとても怖い。
取り敢えずシステムの復元をすぐできるところまで誘導してここで相談。
「画面が見えないまま先へ進むにはとても勇気がいるんですけど、どうしたものでしょうね。僕の代わりに動いてくれる人も用意してるんでソチラに行ってもらうこともできるんですけど・・・」
「いや、取り敢えずやってみるしかないでしょう。」
ということでシステムの復元は始まった。
「この場合、最後に再起動して『システムの復元に成功しました』と出るのが一番きれいな終わり方です。その次が『失敗しました』と出るけど問題は解決していることもあります。一番まずいのは『失敗しました』と出て問題も解決していない場合です。その場合は代わりに動いてくれる人の電話番号をお伝えしますので。」
「それから作業中パソコンとにらめっこするのはやめた方がいいです。あまりの遅さに
やり直したくなってガチャガチャやってるとそれこそグチャグチャになってしまいますので、1時間ごとに様子を見る程度にしてください。」
さぁ、あとは結果待ち。昨日の時点では連絡なし。今朝も・・・。これは入院生活で朝5時くらいから起きてしまうので当たり前。
後になって、SNSでうまく行ったとの連絡が入っていた。復元は深夜に終わり、パソコンは以前のように気持ちよく動いているとのこと。よかった。

今回の筋肉痛はかなりのものだ。こういう痛みを伴うリハビリを家でコツコツできるのか、それとも今回は退院を意識しての強硬リハビリなのか?
家に帰っての自己リハビリではもっと長い目でゆるいものからハードなものへと移行するやり方だといいのだが・・・

7月19日(火)休みが明けて病棟内に平日の音が響き始めた。
Y田さんにここ数日の筋肉痛のことを報告。土曜の杖と足だけでの階段上り下りはリハビリというより、退院後にまだ玄関先に手摺が無い場合、家に入ったきり出てはいけないか、それとも出入りしてもいいかの判定だったそうな。家で自主リハビリをする分にはもっとゆるいトレーニングから少しずつ体の変化に合わせて負荷を増やすやり方でいいとのこと。
ホッ!
あのなにがなんでも階段を模した20cmの台を上らせようとしたのは帰ったあと僕の自由が少しで多いようにという一種の親心だったんだろうな。まぁ、この親心の痛いこと・・・

昼過ぎ、相談員のN内さんがベッドサイドまで来て新しい話。包括ケアセンターから連絡があって、ケアマネ、工事業者さん、この病院のリハビリ担当のY田さんで我が家を見に行く段取りをつけたいが、まずは本人の同意が必要なのでお話に来ましたとのこと。介護認定の到着を待たずに先方からこういう話が来たのはありがたい話。
もちろんOK!
午後の部のリハビリの時にY田さんが来て、25日に行くことになったと教えてくれた。そしてこの話の進み方は異例の速さだとのこと。
このスピードで筋肉痛も飛んでいけー!!

同じ思い
7月20日(水)連休後の変則水曜日。いつもは火曜の入浴が今週は水曜日。
Y田さんのリハビリメニューも一つ進んで病院の地下部分から外に出たところにある駐車場を1週、そしてそこから病院の表玄関に至る坂の上り下り1回。

午後1番の入浴のあとベッドに寝転んでいると、南国の大きな病院に入院していたという看護師さんが来てしばらく話をしていった。宮城さんの場合はあの病院はどうだったんだろうかと・・。
記録も残してるぐらいだからありのままのことを言うと「そうでしょう?私も1日でも早く退院したくて、子供がいるのでそれを理由に早く出してもらったんです。」
おう、同じ思いをした人がいた。この人こそその温かい気持ちで僕の排便をよくしてくれたこの文章の最初に書いた看護師Utsuiさん。
「また、話に来ます。私がしゃべりだしたら3日ぐらいかかるかも知れんけど。」
「あぁ、ごめんなさい。僕ばっかりいろいろしゃべってしまって。」
ホントにまた本音話をしに来てくれたら嬉しいな。
やっぱり僕だけじゃなかったんだ。それが分かっただけでも同志が出来たようで力強い。

我が家に難病指定の記述がある介護保険受給者証が送られて来たとのこと。5月20日に最初の申請で保健所に行った時は3か月かかると聞いていたがこれもひと月早めに済んだようだ。こういうタイミングの良さは術前と一緒だな。

7月21日(木)ベッドの上がり降りの時にはまだ余韻がたっぷりあるけど、土曜日にもらった筋肉痛は少し和らいだ。そして今日も下の駐車場を1周と坂の上り下り。
セミが元気に鳴いていた。寒がりになっている僕は病院の冷房の効いたコンクリートの檻の中で信じられなかったけど、外はホントに夏だった。
午後、O野さん復活。本人ご家族ともにコロナは陰性のままで、待期期間を終えて戻って来た。
日向ぼっこの場所で同じ部屋の患者さんと初めての会話。
コロナゆえか?今の時代がそうなのか、病室のカーテンは閉めたっきりで、テレビや自分の少ない経験でもあった同室のもの同士会話するというのが全くなかったのが、日向ぼっこの場所ではそれが出来る。ちょっと人間に戻った気がした。

7月22日(金)この筋肉痛が取れたらきっと何か新しく出来るようになっている筈。そう思って凌いでいた筋肉痛が取れた。完全にではないがちょっときつめの運動をしてなった筋肉痛という感じ。
残っている痛みで自分の筋肉の弱点が分かるのでそこを意識してストレッチ。ベッドに座り体を折り曲げて靴がはけた。今までは左の靴に左手の指でかかとを入れようとして2度も筋肉を引っ張ったような鈍さが無くなった。それは入浴時の靴下でも同じ。
ベッドの上であぐららしきものもかけた。実に2か月ぶりのあぐら。
Y田さんの部では25日に我が家に行って環境チェックと手摺などの介護設備をどうつけたらいいかアドバイスするためにIPADで動画撮影。あぁその時僕も一緒に行っていろいろ教えてもらいたいことか・・。これもコロナ禍ゆえの不便さだ。
まぁ、退院に向けてあれこれ動き始めている。
僕の感覚ではやっと手術直前の状態まで這い上がって来たかな・・という感じ。手術のダメージとせん妄が出たがゆえの何も出来なかったひと月で随分と体が弱ってたんだろう。
手術で進行を止める。その代わり術前以上に力が弱る。それを元の状態もしくはもっといい状態へと改善するのがリハビリ・・ということでそのリハビリが出遅れたってことだ。

7月23日(土)今日は土曜日でリハビリは午前中の1本のみ。外は34℃もあるそうだが病棟は常に冷やされていて体温調整がまずくなってる僕には寒い。
今日は午後なにもないから日向ぼっこができる。
午後3時に陽が良く当たる場所を見るとなんか陽の光が入って来る角度が違うような。前はこの時間帯は窓から暖かい光が入って来ていたはず。また後で見に来ようか・・

7月24日(日)また静かな、静かな日曜日。入院患者が高齢なこともある。コロナゆえかカーテンをしめた切りなのもあろう。とにかく静かなのだ。
検温その他で来る看護師さんたちは朝6時から消灯の9時半まではその静けさをものともせず普通の声、相手によっては大きな声で話しかける。
このたくましさがないと、すべての音が日曜の静けさに吸い込まれてしまいそうなほど静かだ。この静けさの中、僕がいなくても世間はなんでもなく動いているという孤独感を感じたらどうもイカン。誰かの役に立ってこその人生なのだ。

今日は午後2時過ぎに陽の当たる場所に行ってみた。いい感じに陽が当たっていたので、廊下を3往復した上でそこでしばらく日光浴。4時台にもそこは暖かい陽が。ということは、昨日は空が陰っていたんだな。

7月25日(月)今日は包括支援センターのケアマネ、工事業者さん、この病院のリハビリ担当のY田さんで我が家を見に行ってくれる日。いつもは午後がO野さんの部だが今日はそれが午前中。そして午後のリハビリはお休みということだった。ところが2時前にY田さんがやって来た。なんでも工事業者さんの都合で午後2時が3時になったとのこと。
「宮城さん、時間が出来たからやりましょう。」
仕事熱心なオニなのであった。

夕方、Y田さんが帰って来て今日の話を教えてくれた。僕に降りた介護度は要介護1。手摺の設置場所など写真を撮ったものに線を入れて分かるようにしてくれている。その中には僕が頼んでおいた屋上に出るドアのそばの手摺もあった。よし!

7月26日(火)朝、トイレに行こうと杖を持って立ち上がった時今までと違う感覚。左足にちゃんと重心を感じる。試しに杖は持っているけど床には付けずに歩いてみるとこちらの方が歩きやすい。
じゃあ、帰りは?やっぱり大丈夫。
今日は午前中がO野さんだったのだが、リハビリ室に行くまで同じ歩き方で行くとこれもうまくいった。まだ痛いのは痛いのだがこれがあの筋肉痛の向こう側にあった一つの進歩。
午後、Y田さんにそれをいうと「それはいいことです。」と杖を取り上げられてしまった。
やっぱりオニだわ。
相談員のN内さんが来て今後の話。7月30日の退院をお願いした。
医科大の外来受診についてはN内さんから連絡をしてくれるとのこと。