2024年9月21日(土)

I江さんとの電話

 「I江さん、喜々津小学校だったでしょう!?」

 「エッ?はい。」

 「I江さんだけ後から転校して来て学級の写真の左上に四角く載ってたよネ」

 「そうなんです。たった1日入学が遅れただけで、その後ずっと転校生扱いだったんです。」

 「実は僕、あの学級にいたんだよ。前から二番目の列の右から二番目」

 「えー!?」

 僕はクラスの中で浮いてたけど、I江さんはそういう扱いをせずに雨に降られてちぎれ落ちそうな鯉のぼりのことを教えてくれたこと。そのあと、今度は僕が引っ越して、そこに順応するまでにI江さんのやさしさが随分と支えになったこと。

 高校の合格発表のラジオを聞いてI江さんの名前にびっくりし、しかもクラブが同じブラスバンドで・・・。

 それなのに僕は一言も小学校の時のことを言わず、同窓会名簿に所在不明と表示されてた時にすごく後悔したこと。

 I江さんは、誰にも自分がブラスをやってたなんて言わなかったのに3日ほど前にお知り合いにその話をし、そこへ昨日「ブラスバンドで一緒だった宮城といいます」の電話があったことをご主人から聞いてびっくりしていたとのこと。

 「何時に電話したらいいか分からずにソロソロかけようかと思ってたんです。」

 ご主人に昔の写真を見せ、卒業アルバムにあった住所を見せると、なんとご主人は警察官で僕が住んでいた駐在所の近くの病院に間借りしていたとのこと。縁とはこうやってつながってるんだなぁ。だからご主人まで小浜のことを思い出して懐かしがってくれたらしい。

 嬉しくて40分台の長電話になった。

 気持ちに正直、ためらわない。どっちも大切だ。いい電話だった。

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 おまけに僕が最近知り合った「すごい人」も今日Facebookの友達になってくれて・・・

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 さて、次は電話魔、海を超えるに続くのだが、そちらはMessengerでとりあえずのメッセージを送って返答待ちだ。この話は重みがあって、軽々しく内容を書くのもどうか・・・

 いろいろ協力してくれたのは福岡の兄、カルフォルニアのいとこだった。