2025年8月29日(金)

沖縄の叔父

 昨日の日記に書いたとおり今日はS律さん訪問の日。

 歩く時はホントに危なげだけど、車の運転はOK、到着した先で座ってしまえば何とかなる。

 それを分かった上で呼んでくれるんだから、ありがたいお客様だ。

 バックアップの取り方で3台のパソコンに取り組む。

 これって意味あるいい作業だよなぁ!

 トラブルが起きてからだとネット上のサービスで何十万も請求されるのだ。でも、前もってバックアップの習慣をつけていればほとんど無料か僕の手間賃ていど。

 問題はこれだけのことをやった時には何も起きず、あまりの安定加減に安心して何もしなくなった頃に問題が起きるということ。

 僕の仕事の入り方と同じで、問題は皮肉な発生をするのだ。

 S律さん、毎日とは言わないけど、せめて1週間に一度くらいはやり続けてくださいませ。

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  昨日のことだけど沖縄のおじさんが亡くなったとの連絡をいただいた。98歳。

 終戦があと1日遅ければ人間魚雷でその時亡くなったであろう人。

 僕が子供の時、沖縄から大量のアメリカっぽいギンギラのお菓子、チューインガム、ココアを送ってくれた人。

 沖縄古典音楽の会長であるお兄さんのあとご自身も会長になった人。

 我が家の父は長崎に落ち着かざるを得なく、そういう道は閉ざされていた。

 僕が中学生の時、おじさんは長崎に来てくれた。その時、その時代では珍しいテープレコーダーに歌を録音してくれたんだけど、あのテープはどこにいったんだろう?

 父の葬儀に来てくれたおじさんが兄に言ってくれたこと。

 「嗣春君は一度も沖縄に来たことがないから連れて来たらいいヨ」

 おじさんと兄の約束を果たすこと、僕自信のルーツ沖縄へのあこがれを満たすこと。それが2019年初めての沖縄訪問の原動力だった。

 思い起こすにつれ、今、縁がつながっている人に温かい気持ちが溢れ出る。

 70歳になってもどこかスレずに生きていれるのはみんなみんな、温かいみんなのお陰なんだ。

 なかにはそうじゃない人もいるけど、今では責める気もない。

 おじさんの世代から次は我々の世代。

 愛に満ちた日々を送れますように。